『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その45 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その45

第10回 根拠なき自信

登場人物のおさらい その4

 

常陸国(茨城県)佐竹一族について

 

 佐竹氏は源氏の流れを汲む一族。源頼朝(大泉洋)の4代前の源義家。義家は、東北で起こった「前九年の役」「後三年の役」を戦い、源氏の最盛期を築いた人物だ。『天下第一武勇之士』と言われ、武士として院昇殿を許された殿上人である。

 

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 (源太産衣(げんたがうぶぎぬ):源義家以来源氏に伝わる甲冑(かっちゅう)八領=源氏八領の一つ:源太とは義家の幼名:平治の乱で頼朝が着用したと言われる。頼朝は敗走中に山中で脱ぎ捨てたと言われる。)

 

 この義家の弟義光の流れが、常陸国佐竹一族の流れである。義光の孫昌義(まさよし)が常陸佐竹氏の祖とされる。本拠地は久慈郡太田(茨城県常陸太田市)。以前見た甲斐源氏武田信義(八嶋智人)は義光の子の流れ。つまり、佐竹氏と武田士は同族。

 

(佐竹一族の墓:常陸太田市)

 

 佐竹昌義の孫が、今話で秒殺された佐竹義政(平田広明)。ドラマでは、金砂城の入り口付近で広常(佐藤浩市)に悪口を言って秒殺されたが、『鏡』によると、義政は頼朝軍に恭順するつもりだった。そして広常の誘いに乗って、大矢橋(茨城県石岡市)あたりまで来た時、頼朝の命を受けていた広常に誅殺された。「太だ(はなはだ)速やかなり」と『鏡』も秒殺だったと記す。殺された場所が違うこと、さらに、広常の勝手な行動ではなく、三浦義澄(佐藤B作)・千葉介常胤(岡本信人)・土肥実平(阿南健治)ら宿老たちが義政謀殺を決め、頼朝も同意していた。頼朝などは、義政が橋の上で一人になるように導いたと『鏡』は記す(11月4日条)。

 

(大矢橋:茨城県石岡市:右奥が大矢橋:何度か架け替えられたが、場所は当時のまま)

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10話。佐竹義政役で大河デビューを果たした平田広明(C)NHK― スポニチ Sponichi Annex 芸能

(佐竹義政:平田広明)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10話。佐竹義政役で大河デビューを果たした平田広明(C)NHK― スポニチ Sponichi Annex 芸能

(上総介広常(佐藤浩市)が秒殺!)

 

 義政の弟秀義は、金砂城に立て籠り、徹底抗戦の構えを見せる。城は、簡単には落とせなかった。そこで広常は、秀義の叔父で、「欲心世を越える(欲深いことこの上ない)」佐竹蔵人(くろうど)をたぶらかして、秀義を討たせようとした。秀義は討ち漏らしたものの、城の裏に回った広常たちの鬨の声に驚いた秀義軍は総崩れとなった。秀義は逐電した(『鏡』1180(治承四)年11月5日条)。

 

西金砂山 | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ

(金砂城があった西金砂山:常陸太田市観光物産協会公式HP)

 

 頼朝は佐竹氏の所領を没収し、城を焼き払った。勲功のあった佐竹蔵人は、頼朝に許され、御家人(頼朝=将軍の家人なので『御』の字を付けて敬った)に列した。さらに、没収した所領は、戦功のあった武士たちに褒美として与えた(新恩給与)。

 

 逐電した佐竹秀義は、『鏡』1189(文治五)年7月26日条に「佐竹の四郎」という名で出てくる。

 

 頼朝は、奥州藤原氏を討滅するため、軍勢を整え、奥州に向かった(7月19日)。途中、秀義は頼朝の元に馳せ参じた。その時、秀義は頼朝と同じ無地の白旗を掲げていたことを咎められた。大将と同じとは何事だ、と。頼朝は秀義に扇を与え、それを旗の上につけよと命じた(7月26日)。これが家紋『佐竹扇』(五本骨扇に月丸)の始まり。

 

刀剣ワールド】佐竹家の歴史と武具(刀剣・甲冑)

(佐竹氏家紋:扇に月紋ともいう)

 

 その後、佐竹氏はさまざまに分派しつつ、現代まで血統を繋いでいる。