『マネジメントへの挑戦』(一倉 定)の中で著者は
“付加価値を一定の割合で労使に分配する”
のであるから、労使とも、もはや分配に対する争いはする必要がない。
そして労使とも、自分の有利になることは、付加価値そのものを大きくす
ることなのだ。
付加価値を大きくすることが、労使ともに自分の利益ならば、利害は完全に一致するのである。
労使は手をたずさえ、ともに付加価値の増大に専念すれば良いのだ。
労使の協働と相互信頼の姿が、ここから生まれてくるのである。
と述べています。
この一文には、経営や労使関係をめぐる議論で見落とされがちな「視点の転換」が凝縮されているように感じます。
著者が語っているのは、賃金や取り分をめぐる争いそのものを否定するというよりも、「争いが起きてしまう構造」に目を向けよう、という提案です。
付加価値を一定の割合で分け合う仕組みである以上、労使のどちらかが一方的に得をすることは本来あり得ません。それでも対立が起きるのは、「分配」に意識が集中しすぎているからなのでしょう。
視点を少し引いて考えると、本当に重要なのは「どう分けるか」ではなく、「そもそも何を、どれだけ生み出せているのか」という点にあります。付加価値そのものが小さい状態では、どれほど公平な分配を掲げても、不満や不信は消えません。逆に、付加価値が大きくなれば、分配をめぐる緊張は自然と和らいでいきます。
この考え方が示唆しているのは、労使の利害は本質的には対立していない、という事実です。付加価値を大きくすることが、労働者にとっても、経営側にとっても利益になるのであれば、目指す方向は同じになります。ここに気づいたとき、労使関係は「交渉」から「協働」へと質的に変わっていくのだと思います。
実際、現場で仕事をしていると、雰囲気や信頼関係が良い組織ほど、「誰がどれだけ取るか」よりも、「どうすれば全体が前に進むか」という会話が自然と増えていきます。信頼はスローガンで生まれるものではなく、同じ目的に向かって価値を積み重ねていく過程の中で育つものなのでしょう。
労使の協働と相互信頼とは、理想論ではなく、付加価値という共通言語を持ったときに初めて現実のものになる。そのことを、あらためて考えさせられる一節でした。
