『SEPT A Story of ReAnimation: ReverSing』初日を観て。
8月18日に、新宿、スペース・ゼロ開幕した『SEPT A Story of ReAnimation: ReverSing』という音楽劇を観てきました。6月に書いたブログで報告した舞台の続編です。前回もなかなか良かったのですが、今回、さらに良くなっていて・・って言うか、妙に感動しちゃって。その感動の正体を確認したくて少し文章にしてみようと思った次第。この舞台は“続編”と書きましたが、正確には続々編というべきか。最初の作品が2020年の春に予定され、それがコロナの影響で公演延期となり秋に公演再開。2021年に微調整を行った作品にリメイクされ公演。その続編が2022年の6月に行われ、さらにその続々編がこの8月に、という流れ。次のように書くととても雑な説明になってしまいますが、この舞台で繰り広げられる物語は一貫しいるように思います。日常の些細なトラブル・行き違いから生まれる小さな心の傷。その小さな傷は、時として大きな歪みを作り、その人の運命までも変えてしまう。その歪みをいかに修復するか?いや、そのように宣伝されているわけではないので、あくまで、観客である僕がそう理解しているというだけですが。しかし、実際の生活でもそうであるように、心の傷が簡単に癒やされることはありません。大切な家族からのアドバイスも、親友と呼べる相手からの慰めであっても、傷ついた心は、それを拒否しがちです。意味は理解できても心は動かず、心が動かなければ行動につながることもありません。そして、大事な人の言葉や優しさを踏みにじっている自身の行いが、さらに心を頑なにし、体を縛っていきます。舞台の中でも、そんなシーンが散りばめられます。それはときにコミカルに、ときに重々しく。今回の舞台が、僕の好みだった理由のひとつが、この前半のシーンのリズムによるものだと感じます。ここでの日常シーンの会話やつなぎが緻密に計算されているため、観客として斜めに見る余裕を与えられず、素直に舞台に感情移入できました。その結果、出演者たちの言葉や、脇を固める人たちの何気ない一言が、僕の感情をチクチクと刺激します。しかし、実生活において、傷ついた友を言葉巧みに説得しても心を開かせることが難しいように、テンポ良く舞台が進んでも問題の解決には至りません。傷ついた心には理路整然とした言葉は響かないものです。その言葉を届けるには、別のキッカケ、なにか特別な力が必要です。そして始まるの後半のライブシーン。6つのグループによる競演というシーンです。ここでは前半と打って変わって、ある意味テンポが沈みます。それぞれのグループの出番があるため進行が分断され、芝居としてテンポは途崩れるように感じるのです。しかし、その舞台のリズムの変調が、また僕の心に刺さります。なんか、それって、この先の展開を演者に任せたような印象。言葉(脚本)だけでは伝わらないなにかを演者の熱量で伝えるための時間のように思えて。前回までの作品よりも、その姿勢がストレートに感じられました。そこで、また僕の中に別のイメージが浮かびます。以前にも書きましたが、ホントにコロナ禍の現在ってエンタメ関係者には地獄です。それでも多くの舞台人が興行関係者が製作スタップが歯を食いしばって舞台を作っています。この舞台にあがっている若い人たちも同様でしょう。彼ら、彼女たちの思いはどれほどのものなのか?届けるべき思いとは一体何なのか?その答えは、この舞台のなかで見いだせるのか?舞台の仕事って、いや、昔から何千年も続く“客商売”の仕事って、本当に純粋なもの。おもしろい、おいしい、美しい、であればお客さんがきて、その魅力を持続できれば商売が続けられ、また、お客さんも希望を感じ続けられる。しかし、その魅力が失せたとたんに花が散るように商売が終わる。金融だとか仮想通貨だとか投機だとか。現代の経済の本筋といわれる、誰かが作った怪しげなルールとは異なる自然の美しい営み。それはとても純粋な真実であって、とても、もろく儚い。そんな儚い夢さえも見られない世界なんて・・・それでも果敢に、舞台という世界を再構築し、夢をつなごうとしている彼らの姿と舞台での設定が、僕の中で勝手にリンクして、マスクの中で「オオッ」って何度も唸りました。熱量、気合、しっかり受け取りましたっ!みたいな。それが、僕の感動の正体ってことでしょうか。まぁ、勝手な妄想ですが。妄想が膨らむ芝居は良い芝居です。まだ初日の初回しか観ていないので、明日の日曜、昼か夜のどちらかを観たいと思っています。きっと、初回公演よりも、さらに良くなっているはず。できればもっともっと美しく格調高く、それぞれの演者がイメージする最も美しい動きと歌声と景色を、それぞれライブの中で見せてほしいところ。みなさん、ホントに良いシーンを持っているから楽しみ!