当然ながら我らが村田寛奈が出演する舞台です。
これがとても良かった。
とても僕好みな作品でした。
何が良かったのかと言うと、
芝居そのものはとてもシンプルな構造。
3人の女子高生がいて、彼女たちの日常とそれぞれが持つ心の中の風景をオーバーラップさせて、3人の心情を描いていきます。
そう、そこ。僕が好きなのはそこ。
日常を描きつつ、それぞれのイメージとして与えらた役柄を演じて、それが心象風景だったり、心の中にあるわだかまりの発露だったりします。
つまり、まったくの非日常の演技。これが日常と細かに交錯しつつ物語が進むんです。
そこが良いんです。その変化の瞬間が、実に芝居っぽい。
そうなのよ、芝居って。
大胆な飛躍。日常を飛び越えるイメージ。それをどう観客に納得させるか。
それを肉体の動きと声で一気にやり遂げる醍醐味が芝居の一番の素敵なところ、と思っている僕にとっては、この作品はドキドキの連続でした。
いや、これまでにもそういう構造の作品はあったのですが、
最近の傾向として、作品の作りがショーアップされ過ぎていて、
役者への芝居での要求というよりは、舞台転換だったり、映像効果だったりが凄過ぎて。役者の力によってイメージの飛躍をやり遂げるシーン、意外と少ないんです。
だから今後も、村田寛奈が、今回のような作品に出演する機会は少ないだろうなって思っていました。
それはそれで悪いことではないけれど、彼女が芝居の楽しさを味わうなら、
この年代のうちに、もっと芸術色が強いシンプルな作りの作品を体験してほしいなって。
それが、今回の作品「とけいない」にはあって。3人だけでやりきる感じも素敵。
脚本には余裕があって、役者の雰囲気や演技の作り方で完成するような作りになっていて。
それを、我らが村田寛奈が、知ってか知らずが、しっかり仕上げてきていて。日常の自然な演技も見せつつ、イメージを広げるところでも、なかなかの味わいを出しています。
いや、そのイメージに入る瞬間の表情を見ることができたのが、マニアな僕にとっては何よりの収穫。良い顔してました。
というわけで、今週はどの舞台と演技のことばかり考えていました。
また、村田寛奈ばっかりいい感じで芝居してるのも悔しいので、
僕も、なにかしら少年的な青春的な(少年愛じゃないですよ)心模様を表現したい欲求にかられていたですが、自宅で一人芝居もないので、とりあえずウクレレでそういう楽曲をチェック。ばっちりじゃないですがなんとなくの雰囲気で「壊れかけのRadio」をチョイス。結構、本気でチャレンジ。珍しく歌い直しも数回。
というわけでなんのかんのと楽しい日曜日でした。