サイのレッスンシリーズ(42)サイカレッジ教授への手紙 2019-02-09 | ネロリのSea Side Story 〜煌めきの中へ〜

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サイのレッスンシリーズ(42)サイカレッジ教授への手紙

転載元 サイババが帰って来るよ さん
 
 

2019-02-09 04:00:32 | 日記


ポニョ:今日はサイババさんからの、ナンジェンダイアフ教授への手紙の紹介です。

ヨシオ:俺が感動して何度も読んだ手紙には、「完全な無意識状態に没入すれば、突然、小さな水泡がはじけ、それは自らが大海全体であることを悟ります。あなたは全体であり、無限であり、すべてなのです。あなたは神性そのものです。聖なるものの中の聖なるものです。
世界はもはや世界ではありません。あなたはすべてのすべて、言葉で表現できない最高の力であり、誰にも、どんな心にも、それを描写することはできません。あなたは純粋な「私」("I am")であり、それがあなたです。」と著してあったな。
つまり人がエゴやこの世への欲望や関心を全て捨て去り、神だけに集中したら心に写し出されるものは神の御姿だけになるから、完全な無意識状態になれるんや。

ポニョ:でも意識に神が写し出されるってことは、まだ無意識状態じゃないやんか。

ヨシオ:その神が、例えばサイババさんだとして、そのサイババさんが光そのものになって行くようにイメージすれば、全てのものが神に見えて来るようになるんや。

ポニョ:そういや、キャンドル瞑想でも、ロウソクの炎の中に私の姿を見なさいと言われているよな。光の中にサイババさんを見て、そに光そのものがサイババさんになり、最終的にその光は自分だったと悟って行く過程が大事なんや。という事で、ナンジェンダイアフ教授へのサイババさんからの手紙を紹介しますね。


第2部

 次は、スワミから私に宛てられた手紙の抜粋です。ここでは、学生と学生を見た人々が彼らに抱くイメージに関して、スワミがどれほど注意を払い、関心を抱いていらっしゃるかが示されています。1982年、学生たちが「バジャ・ゴーヴィンダム」というドラマ(演劇)を大勢の観衆の前で披露しなければならなかった時、スワミはわざわざ次のような細かい指示を書いてくださいました。 

 「ドラマに出演する子どもたちは、できる限り小道具を調達することが望ましいでしょう。学僧役が使う皿や、椰子の葉の本、ステッキ、シェルワニ(詰め襟の長上着)、コート、ドーティ(男性用の腰巻)などです。それから、必要なときに使えるように白いスクリーン(幕)も用意しておきなさい。金持ちの男が使うターバンは私が手配しました。1階のベランダに7?8本のステッキがあります。ビメーシュワラが知っています。ラーダークリシュナは、ステッキはベランダの折り畳み式ベッドの下に保管してあると言っています。それらをすべて集めて、ヒロックに渡しなさい。おそらくバスは12日か13日には到着するでしょう。13日、14日、15日にドラマの練習ができます。15日には私もドラマを見ましょう。学生たちにはきれいに散髪しておくように伝えなさい。何千人もの人々が彼らを見るのです。このような点に関しても、彼らはスワミの学生として良い手本を示さなければなりません。学生たちに注意するよう伝え、ドラマの役割に応じた衣装をすべて荷造りするよう伝えなさい」 

 ドラマが上演された後で書かれた次の手紙には、アヴァターが人間として、学生たちの成功や喜びをどのように楽しんでいらっしゃるかが表れています。 

 「昨日のドラマは実に素晴らしいものでした。ボンベイでのドラマよりずっと良かったです。学生たちは上手に演じました。州知事は出演者たちに贈り物を配りました。残りの詳細は、学生たちがあなたに報告するでしょう」 

 次の手紙は、より良い教師のためのガイドライン(指針)を与え、スワミの教師たちに対する期待を明らかにしています。 

 「良い学生と良い教師は、私たちの大学を天国より素晴らしい場所にすることができます。『サティヤ サイの教育機関の他に天国があるだろうか 』というニュースが、どの家庭にも届かなければなりません。あの少数の教師たちも、誤った考え方を変えるべきです。彼らが人生を神聖なものにし、学生たちを勇気づけてくれると良いのですが。あの教師たちは、人生はより多くの給料を稼ぐためにあると考え、自分の人生や他人の人生まで台無しにしています。それは、教育のエッセンス(真髄)を理解していない人々の行く末です。学生の利益と向上のために努力する人だけが、本物の教師です。そうでなければ、その人は役立たずです。 

 教育は売り物ではありません。教育とは、知識を分かち、伝えることです。人は実践し、体験し、他の人もまた体験できるよう手助けしなければなりません。これはただ機械的に暗記したり、単に聞いたりするだけで得られるものではありません。
皆さんは知識を身につけ、他人もそうできるように助けなければなりません。人は、無知やアシャーンティ(平安のない状態)という病気を根こそぎにして、それらの病気が再発しないよう注意しなければなりません。
学生は黄金のようなものです。学生を励まし、勇気づけることのできる教師を有することが絶対に不可欠です。教師にそれができなければ、教師も学生も共に幸福ではありません。ただ書物からの引用を学生たちに機械的に反復させるだけの人たちが、何の役に立つでしょう? 
学生は、父親にとっては念願の息子ですが、教師にとっては愛の息子です。この真理を知り、それに従って行動する者だけが教師です。そうではありませんか? 」 


第3部

「メッセージ」

 親愛なるナジュンダイアフへ、 

 私の祝福を受け取りなさい。ヴェーダーンタ哲学を広める最善の方法は、それを生きることであり、他に王道はありません。 
 神に生きなさい。すべては正しいのです。他の人々も神に生きるようにさせなさい。すべては必ず良くなります。この真理を信じなさい。あなたは救われるでしょう。 
 最も高等な人間だけでなく、最も下等な虫もまた、同じ神聖な性質を宿しています。虫は神性がマーヤー(迷妄)によってより多く覆い隠された下等な姿なのです。
マーヤーに隠されている部分が最も少ないのが、最も高等な姿〔人間〕です。万物の背後には同一の神性が存在し、そこから道徳の原理が生じています。 あなたの神性を明言しなさい。
完全な無意識状態に没入すれば、突然、小さな水泡がはじけ、それは自らが大海全体であることを悟ります。あなたは全体であり、無限であり、すべてなのです。あなたは神性そのものです。聖なるものの中の聖なるものです。
世界はもはや世界ではありません。あなたはすべてのすべて、言葉で表現できない最高の力であり、誰にも、どんな心にも、それを描写することはできません。あなたは純粋な「私」("I am")であり、それがあなたです。
天国はあなたの内にあります。感覚の対象物の中に幸福を探してはなりません。その幸福は、あなたの内にあることを悟りなさい。 

祝福をこめて

シュリ サティヤ サイ ババ
1974年4月24日


第4部

 次の手紙は、サーダカ(霊性修行者)に対するスワミの愛と関心を表しています。 

 「三つの属性に縛られている人間にとって、サイ サンニディ(サイの近くにいること)は、神性という宝よりも素晴らしい宝です。不幸なことに、人々はそれを知らないため、人間の生の価値に気づかないまま世俗の生活に耽っています。あなたはとても幸運です。今生の肉体は、数々の過去世において手に入れた功徳の報酬なのです。
世俗の楽しみは一時的なものです。火は、どれほど燃料を注いでも消えません。燃料を注げば注ぐほど、火はますます大きくなりますが、消えることはありません。世俗の欲望とはそのようなものです。何度生まれ変わりを経験しても、古く、腐敗した欲望は、マーヤーの魔力のもとでは新しく見えます。
あなたの肉体を義務的な仕事を果たすために使い、あなたのハートにババの愛の芳しい甘露を楽しませなさい。あなたが背負っている家族の責務を果たし、心は神に捧げなさい。あなたの道は間違っていないし、曲がってもいません。
私たちは自分自身の心の目撃者です。他人にいったい何がわかるでしょう? 自分自身の心さえ理解できない人々が、どうやって超越的な原理を理解できるでしょう? 

 世界は、人が掛けている眼鏡の色に染まって見えます。あなたのヴィジョン(視覚)に欠陥がないよう確実にしなければなりません。しかし、他人の物の見方に苦しめられる必要はありません。この世界は十人十色です。あなたのハートは完全に純粋です。
それは、ほどけないほど堅くサイのハートに結びついています。カリの時代には、これより良い道を見つけることはできません。あなたはサイの豊かな愛と恩寵を授かっています…。私の祝福を奥さんと子どもたちに伝えてください。
ダサラー祭が近づいています。至福と大きな喜びが与えられるでしょう。それを受け取り、あなたのハートを神に捧げなさい。 
ババより」


 以上の抜粋からもわかるように、スワミはすべての人を熱心な求道者、サーダカにしたいと願っておられます。スワミはハートの中の帰依の姿勢を浄化し、強め、奮い立たせ、励まし、鼓舞なさるのです。 

 サイに対する私の敬意は十分ではありません。短時間であれ、もし母なるサイが私にしてくださったことを思い出していなければ、私はきっと自分の義務を果たせなかったことでしょう。
スワミは恩寵を降り注ぎ、その愛の中に私を浸してくださいました。かつて、スワミは2個のダイヤモンドが並んだ指輪を物質化なさり、そのダイヤの配列を私の妻に見せるように、そしてダイヤの一つはサイであり、もう一つは私であると教えるように、とおっしゃいました。
それが、サイと私の間にある関係なのです。次女の耳にピアスの穴を開けることを承諾してくださり、教育を受けさせる手ほどきをしてくださったスワミの愛に圧倒された時、感謝のあまり私の目からは涙があふれました。
そのときスワミは、自分は帰依者に仕えるために来たのであり、自分にはそれに勝る仕事はないのだ、とおっしゃいました! 

 スワミは私に、どのようにスワミを愛し、どのようにスワミに仕え、どのようにスワミを喜ばせれば良いのかを教えてくださいました。
大学の教員として、また試験の管理員として、私が自分の力を発揮して、一筋の心で奉仕する無数の機会を与えてくださいました。私に対するスワミのメッセージは、霊性を実践して、私自身を生と死の輪廻から救い出すことだったのです。 

出典:『サナータナ サラティ』2011年11月 特集号