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昔から、いろいろな方に道を聞かれることの多い俺だが

最近は特に外人道を聞かれるようになった。

その時は読者のみなさまは英語をマスターされてる方も多いだろうが

俺みたいに片言しか話せない奴には困ったことである。

大体、大学入試まで習う英語は約6,000語といわれてるよな。

ネイティブの人は20,000語から30,000語を使ってるといわれる。

シェイクスピアは100万語ぐらい使ったっていわれてる。

見た目賢い風には見えないと思うのに聞いてこないでくれよ。まったく。

毎度、毎度外国人に道きかれると、ドキドキやで(笑)

こんな俺でも対処できる話し方を次の日記に載せるので参考にする方はどうぞ^^

つづく
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オレは常識という言葉が大嫌いだ。

【常識=ふつう】

というのはおおげさかもしれないが、【ふつう】というのは人の数ほどある。

どうしても人間の社会というものは、【ふつう】という観念をうちたて、それに従うことを我々人間に強制がちに押し付けてくる。何が【ふつう】であるかというのは時代と共にかわってきてるやん。

人によっても違います。

何よりもどのような人を愛し、どのような形で生活して自分をどのように広げていくか、これは全ての人に与えられた能力でありまた、権利であると思います。

オレは言いたいことがある。それはなにか。

誰にでも自分自身になる権利があるということ。

福祉施設や病院で働くオレ達はHIVの問題、ライフスタイルの問題というのは人事ではない。

お前らが使ってるコンピュータ、すばらしい機械やろ。

オレは卒業後すぐにコンピュータ会社に入り今で言うSEをやっていた。

しかし今とあの頃はまったく違った。今はITだのもてはやされ給料もそこそにいいかもしれないが当時全然や。
オレの部屋には会社と自宅のPCを繋ぐダム端があり、夜間バッチ中にエラーが起こればポケベルが鳴り、外で友達と飲んでいてもすぐさま家に帰り自宅からエラーの修正を朝の会社が始まるまでにしなければならず全く遠くに遊びに行くこともできない状態だった。まあ愚痴はさておき。

このコンピュータのモデルを作った、天才数学者がいました。

アランチューリング。まぎれもない天才です。

彼はゲイやった。

当時のイギリスではゲイは病気であり罪であると考えられいた。

この為アランチューリングは強制的に病院に入院させられて措置をうけた。

そのことが原因でアランチューリングは自殺してしまった。ホンマに驚くべき天才数学者やった。

しかし、彼は当時のイギリスの社会から【ふつう】であることを強制されて自らの命を絶ってしもた。

枕元に知恵の象徴である1個の青りんごの実を残して。。。

もう一人の自分であることをもとめ続けた表現者のことをお話しましょう。

オスカーワイルド。アイルランドに生まれてイギリスで活躍した劇作家であり、批評家でありこのオスカーワイルドもまたゲイやった。

彼は当時のイギリスの貴族社会の中で非常に派手な振る舞いをしてそのことによって人々の注目を集め多くのまた天才的作品を残したんやけど彼の没落は、彼が当時の社会の中では普通と考えれている生活スタイルを選ばなかったために端を発してんな。

彼が恋人としていたある貴族の息子、その人の関係がスキャンダルとなって彼は裁判にかけられ有罪となり投獄されてしまった。

オスカーワイルドが獄中で書いた手記は今でも自分であることをもとめつづける男にとっての、あるいは女にとっての、あるいはその他の全てのジェンダーにとってのバイブルとなっている。

彼は書いた。国会議員になりたい人、銀行家になりたい人、成功した商人になりたい人。

そういう人は全て自分以外の何かになろうと求めている。そういう人は仮面をかぶる事になる。自分以外の何かになろうとする人は必ず成功する。しかしそれは彼らの罪でもある。また罰でもある。そういう人達は一生仮面をかぶり続けなければいけない。

一方、自分自信になろうとする人は自分がどこに行こうとするかわからない。わかることができない。なぜなら、私達は空の天体の軌道は計算できるけれども自分の魂の機動は計算はできないからだ。このようにオスカーワイルドは言ってる。

オレは思う。

自分自身であろうという、そういう願いを抱いた人がその結果、しだいに自分の内なるさまざまなものに気づいていって結果としてある時代の社会において【ふつう】ということから外れてしまったとしてもそれは彼、ないしは彼女の魂の機動の結果であって、その事を誰にもとやかく言われる筋合いはない。

しかしオレらは、やはりそのような人間の魂の自由の成り立ちということを未だにちゃんと理解してへんのとちゃうか。だから悲劇は繰り返され、流されなくてもいい涙が流されるんやないか。

オレはオレ自身として何度も言う。常識はきらいや。

【ふつう】というのは人の数だけあんねん。

ほんで誰にでも自分の魂の軌道を追求する権利があんねん。
例えそれが自分でも思いもかけないような新しい世界にオレ達をつれていくとしても。

またな。
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自分のマインドセットからの突破!

自分が思った正しいことをやりたり!!

施設にずっと居ると外の世界がわかなくなる時がある。

突破するってことを社会や今お世話になってるデイの世界に置き換えると時に自分の思いと会社やデイのメンバーさんが組織との衝突ってのがある。

組織人のスタッフも、全く全てが同じって事はありえない。

そしてデイのメンバーだったらデイのメンバー同士でもありえない。

だけど、施設に安全に過ごすのはみんなと同じを事をやるんです。

みんなと同じ事をやると安全なんですよ。

だけど、本当にそれでいいのか?

よく自分の頭で考えると、これって本当にどうなのかってのは多々あるよな。
当たり前です。

めまぐるしく変わる世の中でそれにあわせて本当に暖かいケアや、利用者の方の最終目標のためになることができているのか。

みんなだってどこかの会社に入ったっことがあるやろ。
もしくは今、会社の組織に入ってるやろ。

皆にはみんなの志があるやろ。

自分の社長が言ってることはどうなんだろうかとか。
俺のやってる事は本当に世の中のためになってるんだろうかとかね。

その時に、もしかしたら皆さんは俺のブログを見て俺は結構こう言いたい放題やってるってイメージあるかもしれないけど、ブログには書かないが社会人としてやることは出来る限り汗をかかなければならいとういうことは社会人として当然だと思ってる。

会社員の方。
組織の中にいればやりたくないことは必ずやらされる。あっちの応援に行け。こっちの派閥に入れ。時には自分の意に反してそういうことがいっぱいある。

だけど、やりたくないことを全部断ってると、それはただの跳っ返り。

突破するってことは自分が志の中で納得できないことに毎回、毎回、反発をして志を優先してやることではない。

むしろ、どこが自分の志を優先するポイントなのかという見極めとちゃうか。

それを間違えたら、突破はただの突破できない玉砕になるんやないか。

そこの見極めは俺も出来続けるかわからへんけど、たぶんギリギリのラインでなんとかなってんねにゃろな。

それからいつ、一寸先が闇かわからないから、それはいつも緊張感もってます。

またな。
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福祉施設にて

プログラムに参加せずに自分のしたいことを静かする利用者がいる。

無理にやりたくないプログラムを参加させるべきですか?

大声でカラオケやTVゲームをされると確かに回りの迷惑だが、静かにイヤホンで音楽を聴いたり、スマホで動画を見るぐらいなら俺はいいと思う。

利用者一人ひとりをプログラムに参加させることが福祉施設の目的ではなく心穏やかに1日過ごして頂くのがその方にとっては大切なことではないのか。

やりたくないプログラムには参加しない。
やりたいプログラムには参加する。
いいじゃないか。

俺の経験上、どの施設もプログラムには参加させる。
やりたくないならしなくていいと、スタッフの意見がバラバラなのが多い気がする。

俺は、利用者が家で引きこもりにならず、施設に来ていただき穏やかに過ごしてもらうことを一番に考える。

精神安定剤のクスリを飲んで精神的に安定させているように、イヤホンをしスマホでお笑い動画を見たり音楽プレイヤーなどの媒体で音楽を楽しむ。または読書して心の安定をはかる。

人間とは一人ひとり個性的であり、色んな方法で自分を保っている。

しんどい方は当然、別の部屋で寝るのもいい。

それは安定剤と同じようにその方にとっては大切なクスリなんじゃないだろうか。

とある、Nsとこの話しをしたのだが、

「一人がスマホで動画を見たり音楽を聞き出したら日々決めたプログラムが進まないし、一人がすることで、みんながそうなったらどうするんですか?」と。

続けて「動画が見たい、音楽を聴きたいのであれば家でされたらいいじゃないですか」と。

俺は、ずい分極論な話しをするなぁと思いながらも、その意見に真剣に答えた。

「それはそれでいいのではないでしょうか。みなさんがそれをするという事は、利用者のみなさんがそれを望んでいることであって、ある一人がスマホで動画を見た。それによって回りに流行っただけのこであって非難することではないのではないでしょうか」と

どこのデイケアでもそうだが正直、日々のプログラムなんてつまらない。幼稚園のお遊戯的なことが事実多いと俺は思っている。

イヤホンをし、動画見る。音楽を聴く。読書をする。

利用者は回りに迷惑をかけず、自分の自由意志でそれをしている。
デイでの最終目的は社会復帰していただく事。

しかし、今まで引きこもっていた少年や大人がいきなりデイのメンバーの中に入り正しくコミュニケーションをとれるだろうか。

はじめは、ここ、施設に決まった時間に来て頂く。

もう一歩深く考えてほしい、しんどいのに施設に来て頂いてることに。
しんどいにも関わらず自分を変えたいと思いここに来ている。

先ほども言われた
Ns「家ですればいい」

Nsの発言は素人がうつの人に対して、「なまけているだけ」と俺には聞こえた。
とても福祉にたずさわるものの言う発言ではないと俺は思う。

なぜ、来て寝ていたらダメなのかですか?
強制的に参加させるのが正解なのか?

まず日々来て頂いていることを評価しませんか?
今まで家で閉じこもっていた人間がいきなりメンバーの輪にはいれますか?

次のステップで社会参加をするためにコミュニケーションをとったり、プログラムに参加すればいいじゃないか。

とにかく、家に引きこまらず、毎日同じ時間に来て頂き1日穏やかに過ごして頂く事こそが最初の第一歩じゃないだろうか。

どう思う?

出来れば福祉関係者やそれ以外の人にもお聞きしたい。

またな。