維新から77年、そのまた77年 | 労人社のブログ

労人社のブログ

ブログの説明を入力します。

戦中日記(続労人社だより)220314号

「維新から77年、そのまた77年」

✋白井聡が言うには、明治維新から77年して大日本帝国が無条件降伏し、さらに77年経過した今、破廉恥にも核武装を口にする政治家が現れた。敗戦を現在地にすると、この国の過去と未来のあり方は驚くほど変わっていない。唯一の被曝国という歴史から学んだのは巨大なる空虚でしかなかったみたいだ。

😱維新の政治家が「戦争で北方領土を」と発言して、国会で議員辞職を求めたのがわずか3年前のことだ。それがゼレンスキーの置きみやげである「シベリア出兵のお誘い」に感激し、オシッコをもらす女議員が出てきた。ロシア、中国の侵略は悪魔の所業だが、かつての皇軍、米軍の侵略行為は正義の戦い、かのようにだ。

😇2発目の原爆が長崎に落ちたのは、広島が原爆で壊滅し、ポツダム宣言の受諾をめぐる御前会議の席に、未明のソビエト参戦がつたわり、無条件降伏ではなしに「なんとか國體護持の」線でまとめたい、とお話しをした直後に8万人からの命を一瞬にして奪った。ソ連に北方領土の領有を認め、対日参戦を要請した米が、分捕り分を減らそうと原爆投下を急いだ。その証拠と言ってはなんだが、ソ連参戦からわずか2時間で整備未了のまま原爆機を着陸させた。

☀️ここには戦争の構図がそのままある。ウクライナ、台湾、いや朝鮮有事も同じ構図をしめす。1は、戦争は国家が資本の利益を忖度して行う。2は、戦争が総力戦に転じてからは、庶民の死者数が勝敗をけっする。3は、侵略軍が地上戦に勝利したことはない。4は、金で買われた傭兵、戦争企業、諜報機関が大活躍すること。5、厭戦気分の醸成に情報操作がなされること。ウクライナ戦争も例外ではない。

💤45年。77年間をちょうど折り返した年に、ニホンは戦争放棄を国是にすることを選択した。2度と喧嘩をしないために、暴力団から足を洗い、銃や刃物は持たないことにした。この選択が正しかったことは、80年代後半までの40年間を経済的豊かさ、驚くべき生産性の向上を享受できたことに明らかだ。

⚡️憲法9条の文言は、戦争が大好きな友だちと一線を画す制限になった。ただ、御前会議の結論が自らが行ったアジア諸国人民への侵略行為を(人としての許すまじ行為)と反省せず、(国家としての正義の争い)と信じたままであったことで、いつのまにかニホンは暴力団の代貸、企業舎弟として身体だけ大きく、脳みそは糠味噌のように発酵させてしまった。

😷これは、沖縄を人身御供に國體護持を米に許してもらったためで、「すべての戦争は、暴力が纏う人格である国家のお仕事」という、多くの犠牲者を前にした総括を反故にしたことによる。岸信介、平沼騏一郎、笹川良一ら戦争犯罪人らの追放解除が現代ニホン150年の歴史の折り返した点であった。侵略戦争は過去の話。今度、やる時は必ず勝って見せます。「戦争責任?あんた何の話してるん。」「そんな古いこと言うとるから北方領土が戻ってこない。なんなら戦争でとり戻しましょうか。今なら勝てるで」

💔維新の会の事務所では、こんな会話が日常化しているのではあるまいか!ゼレンスキーの実質、シベリア出兵のお誘いに、第9条が戦争抑止となった日本歴史を伝えず、国会に英雄戦士の如き登場を許したニホン社会は再び国家主義の毒ガスが覆いはじめた。あの女議員はこの狂喜ガスを吸い込んだがためションベンをもらしたのかもしれない。

🎶教訓1。生命は1つ、人生は1回。だから、命を捨てないようにね♬あわてると、ついフラフラと、御国のためなのと言われるとね♪御国は俺たち死んだとて、ずっと後まで残りますよね🎵失礼しましたで終わるだけ、生命のスペアはありませんよ♫青くなってしり込みなさい、逃げなさい隠れなさい♩