戒名、法名は当店で! | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)211267号

「戒名、法名は当店で!」

★★★小三治師のまくらは枕草子ではなく徒然草。何のこっちゃ?師の噺しのまくらは、ふっと頭に浮かんだことをそのまま語る。それがとってもおもしろい。三大随筆の枕草子も徒然草も教科書だけで、内容など憶えていない。最後まで読んだのは方丈記だけ。内容だけでなく、著者への関心からで、小三治師のおもしろさも個性、その生き方にあった気がする。

★★★小三治師のまくらがどんなに名作?でも、噺しと違って、弟子たちがまくらを受け継ぐことはあるまい。質の良い随筆は一回限りのもの。良い友人との出会いで、友が死んでは、愉しみも喜びも過去のものとなる。

★★★長姉が膵体尾部癌で亡くなり、ぼくが育った7人の家族は、ぼく1人を残して居なくなった。つまり天涯孤独の孤児になった。むかしから「オケツに入らずんばコジを得ず」のたとえもあり、ぼくはウンコのような存在になるのだろうか?(笑)曲者め!。このまくらでの掴みは失敗したかもしれない。

★★★姉が認知症、糖尿病等々で7年もの入院生活をしてきたが、直接の死因はそれらとは違う膵臓癌。コロナ禍で2年近く面会禁止が続く中、すがの首と交換の(緩和)で10月末の久々の面会時には、すでに癌細胞は肝臓にまで転移して、死神がにっこり微笑んでいた。糖尿由来の膵臓癌は予想されていた病変だが、コロナ対策に医療資源を集中する、医療崩壊が癌の発見を遅らせた。時勢を反映した死でもあった。

★★★死病が確認されわずか1ヶ月で死亡確認される慌ただしさで、この国の医療や生死のあり方が大きく変わっていることを知った。一般に医療は人間の(生死)にかかわる全般の所作であったと思っていたら、いまやニンゲンの生死がシステム化されている。死神に嫌われた病人は、(まだカネになる)病人として退院させられ、またの来院を楽しみにされる。患者しか病人商品となれない。

★★★驚いたことに大病院には霊安室がなかった。医者による死亡確認とともに、葬儀社とのコンタクトが始まり、営業担当者との営業交渉が彼らの主導権で始まる。この時勢、ささやかな家族葬で近親者だけで個人を偲ぶだけで!と思うが、さまざまなオプションサービスが加わり、結構華やかな葬儀へと変わる。予算も含めてで。

★★★極付きは戒名。宗派にあっては法名というにだそうだが、その1語に相場が成立している。わが家では旦那寺がなく、戒名を誰に名付けて貰えばいいのか?俗名のままで納骨してもよいにだが、先住者が高い名を墓石に刻んでいるから、ちと可哀想だ。でも、誰に頼めば良いのか?

★★★翌日、葬儀社と取引関係?にある市外のお寺さんから、「お姉さんのお人柄を教えてください」と電話がきた。おいおい、身も知らない坊さんが戒名ってか。釈や大姉の文字は料金次第で、名前の一文字も使い、あとは性格をあらわす漢字があれば、戒名など容易くできる。寺-氏子の関係で子ども時代から交流があれば、納得する。「寅!このバカもの」ならばだ。

★★★浄土真宗では般若心経を重視しないと聞いた。般若心経が説く、無=空は中世の科学的真理。インテリらが好む説教だ。でも、宇宙や物質のありようがどうあろうと、問題は一切衆生の生き死にしかない、と親鸞は考えたらしい。われはどこから、何者か、どこへ?とゴーギャン同様に、人の生死をわかり易く説いた。宗教に哲学が寄り添っていた時代があった。

★★★現代の池田大作の師のような蓮如という僧が、哲学以上に組織経営を第一としたものだから、宗教に哲学=人の生死は二の次、三の次で組織拡大、金稼ぎこそが御本尊になった。金さえ出せば仏になれる、仏になるのにお金が要るなら無理して死ぬこともあるまい。そういえば、恒例の今年の漢字では、今年もまた金に決まった。どうやら、人のニューロンはすっかり金メッキが施されてしまったらしい。なのに、わが姉ちゃんよ!そんなに急いで死ぬこともなかったのに!なに?あほシンゾウのようなウンコ野郎と同じ空気を吸っていると、気持ちが悪くてしょうがないって!南無〜。