白土三平カムイ伝の逃散論 | 労人社のブログ

労人社のブログ

ブログの説明を入力します。

戦中日記(続労人社だより)211266号

「白土三平カムイ伝の逃散論」

◉◉◉白土三平が亡くなり、数少ない蔵書の中からカムイ伝全33巻を引き出し読み出した。漫画はのんびり見るもので、根をつめてまで読むものではない。ただ、このカムイ伝は、読みはじめたならば、止まらない(エビセン)本であった。白土が50年前に、渾身を込めた作品は今日的なテーマを描いた漫画であった。

◉◉◉ロヒンギャが他の政治難民と異なることは、無国籍難民である点。軍事政権が国籍を認めず、国民国家から一切の保護が与えられない。出エジプト以来の難民たちは、新開地に至ればそこの土地を開墾して、食糧を得ることはできる。しかし、近現代史においては、地球上のすべての地点が(領土)として国民国家の所有に帰していれば、無産者たる難民は国民国家の下にひれ伏さない限り生存を許されない。ただ、この無国籍者は有史以前から現在まで、多数存在していて、歴史変化の主人公であった。

◉◉◉かつて民族国家といわれた国民国家の要件は、領土、言語、文化・宗教とそれらを共有する民族等あたり。1848年の欧州革命を画期に成立した国民国家は、資本性生産とともに近現代史の骨格をなしている。この時代は、科学的知識、技術の輝かしき発展に彩られているのと同時に、戦争と革命の繰り返しでもあった。とりわけ、国民国家の成立こそ人類が被った最大の禍であった。

◉◉◉ロヒンギャの悲劇は、英国のインド植民化であり、インド人の難民流入とそれに続く、ビルマ自体が植民地とされたことだ。その後、遅れてきた帝国主義ニホンの侵略もあり、地主貴族、インテリ層を基盤にする民族独立運動が展開された。独自の共産主義?で建国された国家は、ビルマ民族の仏教徒によるもので、ヒンドゥ、イスラム教徒や少数民族は中枢から排除された。

◉◉◉国民国家がよって立つ、民族性など大航海時代以来の人・物の移動で交雑が進み、ハーフ、クオーターなど(万世一系)なる虚妄はフウセン球のように消えた。言語もデジタル化の進展で、バイリンガルが一般化?し、文化・宗教もカネを物神とする唯一神教に統合されている。ニンゲンが生きていく上で必須の共同体として、国民国家の歴史的役割はすでに過去のものになりつつある。

◉◉◉たいして、独立を果たしたばかりビルマは周辺大国からの侵略に対抗するために、なんと鎖国政策を導入した。外に向けて軍事体制を強化し、内に向けては少数民族、異教徒への弾圧を激しくした。すでに、領土、民族、言語、文化・宗教が国家を束ねる絆としては幻想、虚無の概念であることが現れていたにもかかわらず、である。これが、国民国家の中に200万人を超える無国籍者難民を抱える理由に違いない。

◉◉◉カムイ伝の裏テーマは、逃散である。農民が破産した共同体=幕藩体制に対して、農民一揆ではなく集団逃亡する。江戸の人足寄せ場に身を寄せる無宿人は農村共同体から逃散を図った難民たちである。むかしから国の保護を得られず、むしろ刺青を彫られ、迫害される難民者が多数存在した。そして、その難民が歴史の変革に大きく寄与してきた。カムイ伝のテーマは、ロヒンギャ、中東、米墨の壁の難民の姿でもあった。

◉◉◉権力の側から、ひと言で言えば棄民政策である。該共同体の生産性が限界に達し、帰属する民を保護出来ず、生存権を保障できなくなった時、国民国家、政治権力は暴力的に棄民政策を進め、自らの延命を図る。それが近現代史が戦争と革命の歴史である所以で、白土三平の視線からはロヒンギャ同様、沖縄、非正規雇用、老人、女子、子どもが、死に損ないの国民国家から迫害を受けているように見えている。岸田の新しい資本主義の検討は、「国民国家に代わる新しい共同体へ」と読み返えなければいけない。