子どもたちのいない葬儀 | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)211268号

「子どもたちのいない葬儀」

◉◉◉家族葬での喪主あいさつには違和感が伴う。いわば、同じ生活(時間・空間)を過ごした者にセレモニー的言語は馴染まない。コロナ禍の中での葬儀や少子化社会という理由だけでなく、人を弔うことの意味、あり方が変わりつつあるようだ。考古学では墳墓が最高の歴史資料なのは、弔いの形式が長い時間変わらず、保存されるためだ。たとえば、墓制変化が王朝交代等の社会変化を示すようにである。

◉◉◉姉の葬儀は兄弟親族だけのささやかな集まりであったが、良いお葬式であった。しかし、葬儀に列席した子どもはただ1人。葬儀場で出会った他家の式でも孫世代、子どもたちの姿はほとんど見られなかった。コロナ禍という条件を除いても、何かぼくには子どものいない葬儀が、この国の「滅び」を象徴しているように思えた。

◉◉◉初めての葬式は、田舎の母方の祖父母が死んだ時であった。8人の子どもと18人の孫を成した婆さんの葬儀であった。一階ではお経をあげる坊主と御詠歌をとなえる近所の衆生がおごそか?な風で弔いごとをする、その2階では襖を取り去った大きな部屋に、近県の都会から親に連れられ来た孫たちが大騒ぎしていた。小学校の遠足のようなもので、爺さん婆さんの葬式は孫世代には楽しくてしょうがないものであった。

◉◉◉後年、葬儀とは祖父母世代から孫世代への文化、歴史を継承するためのセレモニーではないかと思い至った。縄文人が元旦に初日がさす、家の玄関前に墓所を設定した理由は、死する不思議さと恐れ、その再生を願ってのことだ、そうだが、つまるところ(祖父母世代の生きた時代)を(新たな時代を生きる孫世代に)受け渡すため涙を流すのではないか?

◉◉◉とすれば、葬式の主役はご遺体でもなく、喪主でもなく、ましてや坊主でなく、歴史、文化を引き継ぐ孫世代となる。その孫世代、子どもたちが列席する葬儀が少なくなった。この国では歴史継承、文化を引き継ぐという意識がとみに顕著になってきた。もっとも、現在の孫世代が受け継ぐべき社会的財産、文化が忖度のこころや選挙地盤と1000兆円を超える、身に覚えのない借金では、祖父母世代から受け継ぐべきものもない。

◉◉◉あほシンゾウというより、新自由主義という経帷子を纏った小泉の登場以来10年、この国は新しい文化創造を怠ってきた。(自助共助公助)経や(今だけ金だけ自分だけ)経ではホトケも成仏はできない。祖父母世代の知恵を引き継がなければ、新しい時代に向かう子ども世代が幸せに生きることもあり得ない。葬儀の形式すら(自助)や(金だけ)に変えてしまった、あほシンゾウや維新の面々をぶっ潰ししか、極楽王土はなさそうだ。

◉◉◉家族葬の喪主あいさつには違和感がある。しかし、子どものいない葬儀を前に、この国の葬儀に際しては、多くの喪主が「滅びるべくして滅んだ」ニホン!に哀悼の言葉を捧げることになるかもしれない。

◉◉◉追記。母代わりでぼくの教育担当であった姉の訓示は、会津娘子隊中野竹子の受け売りの「ならぬことはならぬものです」。いまや、この什の掟を継承した政治家、実業家、官僚、宗教家を見出すことは極めてこんなんだ。むかしの祖父母の葬儀が楽しかったのは、どこからか「ならぬことはならぬのです」が聴こえていたから、かもしれない。