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労人社だより第16025号
    会津さざえ堂と紹介するTVを見た。なんとまぁ奇妙な造形で、建築美という範疇で括ってよいのか?判然としないが、一度は実際に訪れたい気にさせる建物なのだ。   白虎隊の墓所である飯盛山の中腹にある円通三匝堂が正式名称で、さざえ堂自体は全国にあるが二重らせん構造による木造建築物はここだけだそうだ。
   二重らせん構造はDNAがこの構造であることで周知されるが、15世紀の天才ダビンチがスケッチを残している。会津さざえ堂を建立した坊さんがDNA構造の解明の事実を知っているはずもなく、江戸時代の初期に何らかのルートで伝わったダビンチの二重らせん図を見て、この奇妙な建築物を思いついたと考えられている、のだそうだ。ただ、一枚の平面図から立体的な構造物を想像することは大天才、あるいは相当の経験がなければできない。
    実際にモノを見て、その仕組みを理解することはたやすい。むかしの人たちは時間の早さは別にしてその行為を繰り返してきたのだから。でも、会津さざえ堂の場合は平面図が一枚しかなかったから、建築し得たもので、情報があり触れる現代社会では、逆に立体図を描くことはできないのではないか?情報を得て、そこから何らかの形に変えるには人の頭の中で「一瞬のスパーク」が不可欠なのだ。
   先日、入院加療中の知り合いからメールが2件届いた。別々の患者さんで、近況を尋ねてみようとtelしたが繋がらなかった。後になってメールがきて、(見舞いにはおよばない)旨が了解できたのだが、これでいまの病状=立体物を見たことにはならないだろう。少なくともtelであれば、ニュアンスの微妙なズレを感じることもできる。メールにのせることができるのは肉声ではなく、情報である。いくら情報を積み上げても立体的を総合的に見ることは難しい。無機質に見えて一つひとつの情報には発信地、立場によって視点が異なる。情報をより真実に近づけるためには、いわゆるFace to Faceのコミュニケーションが不可欠になるのだ。
    ダビンチの設計図をもとにスーパーコンピュータで現代のさざえ堂を設計すれば、外見の立体物はスッキリとした機能美だけの建物になるのではないか?観光客や白虎隊の若者たちをうならす、あのヘンテコな奇妙な造形は生まれない。Face to Faceの欠いたコミュニケーションでは一瞬のスパークが生じようがないためだ。
   今からほんの少し前、携帯電話の時代と言われた、(生活が便利になったわね)と喜ばれた。いつ、どこでも相手と話ができる。曲がりなりにも、携帯電話はコミュニケーションツールであった。しかし、ラインやメールは情報を伝達する手段にすぎない。メールがおじさん、おばさんの間にも浸透するにつれ、見たこともない情報こそ増えたが、そこから真実を見つける能力が落ちてきた。平面図から立体物を構築できるのは経験をつんだものか、天才に限られる。年いった者どもは、メールをやめて極力電話に出ようではないか!一瞬のスパークのためにもだ。