ライオンズ4試合目の「都内主催試合」 | nerimamoデータ倉庫

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2018年4月17日、ライオンズは球団史上初の東京ドーム開催を迎えます。
2008年に日本一・アジア一を成し遂げた球場で当時のユニフォームを着用する「ライオンズクラシック」としての試合です。
私も2試合の「優勝」を10年前に現地で見届けましたが、アジアシリーズではホームユニフォームを着用して東京ドームで戦ったことに不思議な感覚を覚えました。

ところでライオンズが過去に東京都内で主催試合を行ったことがあることをご存知の方はほとんどいないでしょう。
私自身試合があったこと自体は以前から把握していましたが、

ちょうどその事情が記された本に出会ったため紹介させてください。

 

 


<ライオンズ過去の東京都内での主催試合>
                     球場       相手    勝敗  スコア    責任投手
1956年10月6日    後楽園    阪急    ○    7-1    島根幸雄
1956年10月7日    駒沢       阪急    ×    0-5    長坂衛
1973年10月13日  後楽園    日拓    ○    6-4    東尾修
ほかにフランチャイズ制施行前の1950、51年に後楽園球場8試合、上井草球場1試合主催あり。

1956年のライオンズは南海ホークスと熾烈な優勝争いを繰り広げていました。
8月末には首位ホークスに4ゲーム差を付けられたものの、
9月を19勝8敗1分けで乗り切ってゲーム差なしの首位に立ちます。
10月4日にホークスが96勝52敗6分けで全日程を終えた時点で、ライオンズは残り3試合。
ビジターの東映フライヤーズ戦、ホームの阪急ブレーブス戦2試合のうち

2勝すればライオンズ優勝という状況です。

通常であればブレーブス戦は福岡・平和台球場で戦うところですが、ここで問題が発生します。
それは日程。フライヤーズ戦を5日に戦った後、ジャイアンツとの日本シリーズの開幕が10日に迫っていたのです。
現代であれば問題はありませんが、当時は東海道新幹線も開業前。
東京⇔博多間は在来線の特急で23時間以上を要していた時代です。
日本シリーズ第1戦は後楽園開催だったため、日本シリーズのために上京する時間を考えると平和台での開催は現実的ではない。
そこで6日は後楽園、7日はフライヤーズ本拠地である駒沢球場を間借りして開催することとなりました。

結果的に6日の後楽園でのブレーブス戦に7-1で勝利。
先発・島原が6 0/3回1失点に抑えると、関口清治が2安打4打点の活躍。2年ぶりのリーグ優勝を決めました。
中2日を置いて始まった日本シリーズでは稲尾和久が全6試合に登板し3勝をマーク。
17日に後楽園で日本一を決め、3年連続日本一という黄金時代が幕を開けました。

当時後楽園で主催試合ができなけば日程的に大きなハンデを抱えていたことは自明の理。
日程次第ではリーグ優勝、日本一がなかったかもしれません。

ちなみに1973年に後楽園で開催した経緯は不明です。
当時は前後期制で後期の最終盤にあたりますが、ライオンズ・フライヤーズともに優勝には関係なし。
日程を見るとこの日はダブルヘッダーで、第1試合がフライヤーズの主催試合、第2試合はライオンズの主催試合となっています。
この時は既に山陽新幹線が岡山まで開業しており、1956年とは移動の環境は大きく改善されています。
西鉄から太平洋クラブ(福岡野球株式会社)にチームが変わり、福岡市の対応が悪くなったというエピソードもあるため、
試合日程を柔軟に組めなくなってしまったという可能性もあるかもしれません。

ライオンズにとって最後の日本一・アジア一を勝ち取った東京ドーム、
そして西鉄ライオンズ黄金時代が始まった場所と言える後楽園球場。
開幕から好調のライオンズが「土地のパワー」を得て、更に優勝へ近付くことを願っています。

 

 

参考

「プロ野球と鉄道」 田中正恭 交通新聞社

日本プロ野球記録 http://2689web.com/games.html

wikipedia