高杉晋作の生涯と石碑1 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

新テーマ「石碑・モニュメント~歴史上の人物の生涯~」を

作りました。

何がやりたいかというと、歴史上の人物の生涯を、

これまでに取り上げてきた石碑・モニュメントを

振り返りながら、ご紹介していくという試みです。

 

第1回目は、高杉晋作の生涯をご紹介していきたいと思います。

 

 

高杉晋作は、1839年、萩に生まれました。

高杉家は戦国時代・毛利元就の代から、

毛利家に代々仕える名門。

晋作はその長男として、将来長州藩を支えていく身となるよう、

育てられました(後に廃嫡)。

 

 

 

 毛利元就の継室・乃美大方の墓

 

1857年、吉田松陰主宰の松下村塾に入塾。

久坂玄瑞と並んで「松下村塾の双璧」と、

吉田稔麿と入江九一を加えて「松下村塾四天王」と呼ばれ、

その能力を高く評価されます。

 

 

 

 吉田松陰や四天王などが祀られている桜山招魂場の招魂碑

 

その後、江戸や東北へ遊学。

1862年には藩命で上海を視察。

帰国後、尊王攘夷運動に身を投じ、

同年、建設中の英国公使館を焼討ちします。

長州藩は、晋作の過激な行動を不安視し、江戸から召喚。

晋作は剃髪して「東行」と名乗り、

10年の隠遁生活に入ろうとしました。

 

晋作が下関で活躍するようになるのはこの直後のことです。

 

 

次回へ続きます。

 

 

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