桜山招魂場招魂碑 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

桜山神社です。

 

1863年、高杉晋作が、戦死した志士の霊を祀り、

また、生きている志士が死を覚悟するための生墳を

築くことを提唱し、招魂場が設けられることとなりました。

 

その結果、1865年に誕生したのが桜山招魂社です。

日本初の招魂社と言われています。

 

その後、昭和14年(1939年)に護国神社と、

更には、昭和21年(1946年)に桜山神社となり、

現在に至ります。

 

 

 

 

桜山神社社殿の背後にある桜山招魂場です。

招魂碑は当初、社殿を囲むように並んでいたそうですが、

明治時代末期に、社殿の裏に並べられ、

その後も何度か変遷が行われ、現在の配置となりました。

 

最前列中央に1段高く「松陰吉田先生」の

招魂碑が建てられており、

その向かって右側に「高杉晋作春風」、

左側には「久坂義助通武」(玄瑞)と、

松下村塾の双璧の碑が建てられています。

更に、晋作の向かって右には「入江九一弘致」、

玄瑞の向かって左には「吉田年丸秀実」(稔麿)と、

松下村塾の四天王が並びます。

 

招魂碑の数は396基で、祀られている神霊は391柱。

最後に祀られたのは、山県有朋ら23柱で、

昭和34年(1959年)に、

松陰没後百年祭に当たってのことでした。

 

 

場所はこちらです。