古川薫の墓 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

功山寺墓地にある古川薫の墓です。

「古川薫ここに眠る」と記された副碑が建てられています。

 

 

直木賞作家・古川薫は、

大正14年(1925年)に下関で生まれました。

宇部工業学校(現・宇部工業高校)卒業後、航空機会社に就職。

終戦間近の昭和20年(1945年)に召集されました。

沖縄戦に派遣される予定でしたが、

派遣されることなく終戦を迎えました。

 

戦後、山口大学を卒業。

教員として勤務した後、山口新聞に入社。

編集局長を務めました。

 

昭和40年(1965年)の『走狗』を皮切りに、

直木賞候補に歴代最多の10回ノミネートされ、

平成3年(1991年)『漂白者のアリア』で直木賞受賞。

当時史上最高齢、65歳での受賞でした。

 

下関を拠点に執筆活動を行い、

下関の文化界に多大な功績を残しました。

市内の石碑にも多数関わっています。

 

昨年、92歳で死亡。

今年、下関市名誉市民となりました。

 

 

功山寺墓地入口の場所はこちらです。

 

 

なお、このお墓が通算800基目の石碑・モニュメントとなりました。

これからもよろしくお願いいたします。