氏神旧跡(旧若宮八幡宮)、豊田下地区戦歿者顕彰碑 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

以前掲載した、下関市豊田町手洗にある

飯塚山(飯塚城址)山頂から東側を望んだ写真です。

 

 

で、↑ここなのですが……

 

 

何やら謎の階段が!

 

行ってみると……

 

 

 

石碑と祠のある広場に出ます。

何やら厳かな雰囲気。

 

 

 

向かって左側にある石碑です。

「氏神旧跡」と記されています。

調べてみたところ、当地に若宮八幡宮という神社があったことを

伝えるための碑なのだそうです。

 

 

当地(豊田東長野)にあった若宮八幡宮は、

平安時代末期に、豊田中村にあった若宮八幡宮の

分霊が祀られて創建。

中村の若宮八幡宮の末社となりましたが、

1187年に、豊田殿敷に東八幡宮が創建されると、

その末社になりました。

 

その後、1770年に独立。

現在の下関市豊田町南東から美祢市の一部にまたがる

8村の氏神ととして崇敬されましたが、

明治44年(1911年)に豊田江良の菅原神社と合併し、

そちらの地で豊田神社となりました。

 

 

この碑は、大正3年(1914年)に建てられたものです。

 

 

さて、碑に向かって右隣に祠がありますが、

これは豊田下地区(豊田町南部)の招魂場だそうです。

 

 

その向かって右手には

「豊田下地区戦歿者顕彰碑」が建てられています。

昭和60年(1985年)に建てられたもので、

96人の名前が記されています。

 

 

これらの碑の場所はこちらです。