下関市綾羅木にある中山神社。
尊攘派の青年公卿・中山忠光が眠るこの地に、
「中山忠光卿辞世」と記された歌碑があります。
「思ひきや 野田の案山子の 梓弓
引きも放たて 朽ちはつるとは」
しかし、実はこの歌は忠光の辞世ではありません。
忠光と同じ1864年に、戦乱に巻き込まれて切腹を命じられた
常陸宍戸藩主・松平頼徳の辞世の歌
「思ひきや 野田の案山子の 竹の弓
引きもはなたで 朽ち果てんとは」
が元になっています。
忠光にはその最期に辞世の歌を読む時間的余裕はなく、
昭和9年(1934年)に、彼の心境を表現した歌として、
忠光の側女・恩地トミ(登美)の一族により、
この歌を刻んだ歌碑が建立されました。
自然石の碑ですが、その上に鳥の彫刻が乗せられており、
ちょっと珍しい気がします。
書は、海軍大将で当時の連合艦隊司令長官、
後に内務大臣などを歴任した末次信正が手掛けています。
場所はこちらです。
なお、以前ご紹介しましたが、
忠光が暗殺された地にある本宮中山神社にも
同じ歌の歌碑があります。