奇兵隊灯籠 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

以前お話ししたことがある、奇兵隊灯籠です。

 

四境戦争小倉口の戦いの戦利品で、

小倉の延命寺から持ち帰られたものです。

 

 

写真向かって右側の灯籠には、

この灯籠を持ち帰った奇兵隊の思いが刻まれています。

 

「国家多難数祈公廟誅内奸攘外賊

 今茲丙寅八月落小倉城

 固非人力得之延命寺以徒吉田根陣

 奉祠前聊報神助之萬分 奇兵隊

 (国家多難、しばし公廟に内奸を誅し、外賊を攘わんことを祈る。

  今ここに丙寅八月小倉城を落す。

  もとより人力に非ず。

  これを延命寺に得、以って吉田根陣に移す。

  祠前にいささか神助之萬分に報い奉る。 奇兵隊)」

 

 

そして、左側の灯籠には

 

 

「元治三年」と記されていますが、

実際は慶応2年(1866年)であって、

元治3年という年は実際にはありません。

 

「慶応」が「一橋慶喜に応じる」と読めることから、

その前の元号で記したのだそうです。

 

 

この灯籠は、元々、下関市吉田にあった天神様に奉納されており、

その天神様が他社に合祀された際に

そのままとなっていたものです。

それを、昭和43年(1968年)に、

東行庵3代目庵主・谷玉仙が発見しました。

 

その後、灯籠は東行庵の

聖観音菩薩像の左右に移設されましたが、

風化防止のため、現在は東行記念館の2階に移されています。

 

 

東行記念館の場所は東行庵のホームページでご確認いただけます。