下関市長府にある忌宮神社。
昨日ご紹介した「数方庭由来碑」の隣に玉垣があり、
その中に「神宮皇后御手うゑさかまつ」と記された石碑があります。
碑の奥には、松の古木の幹が安置されており、
隣には松の若木が育っています。
かつて、この地に豊浦宮を構えた仲哀天皇。
その妻・神功皇后は、西暦200年に夫が死亡した後、
三韓征伐に向かっています。
その際、小松を逆さに植え、
「我志を得ば、この松枯れずして生い茂りなむ」と
戦勝を占ったところ、
逆さに植えた松の枝葉が生い茂ったと伝えられています。
それが碑の奥に安置されている古木で、
「さか松(逆松)」と言われています。
さか松自体は明治初期に枯れたそうですが、
現在もその子孫が、隣で緑色の葉を茂らせているということです。
碑は大正14年(1929年)に、
玉垣の修理と併せて建てられたものです。
場所はこちらです。