「記念」と「紀念」 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

昨日お話ししたとおり、

今日は、「記念」と「紀念」について考えてみたいと思いますo(^▽^)o

 

このブログでご紹介してきた碑の中にも、

「記念」と書かれたものと「紀念」と書かれたものがあります。

 

 

昨日ご紹介した、川棚のクスの森のそばにある石碑には

「天然紀年物川棚村樟之森」と記されています。

この碑は昭和3年(1928年)に建立されたものです。

 

現在の文化財保護法の前身である、

「史蹟名勝天然紀念物保存法」は

大正8年(1919年)に公布施行されています。

この頃には、「天然紀念物」という表記が存在したわけです。

 

 

しかし、同じ「天然きねん物」の表記でも、以前ご紹介した

山口県指定天然記念物 長門国一の宮住吉神社社叢」の碑では

「天然記念物」と記されています。

 

住吉神社の社叢、すなわち山林が、

山口県指定天然記念物になったのは

昭和41年(1976年)のことです。

この頃には「天然記念物」になっていたということです。

 

 

どうも、昭和20年代までは、「記念」のみならず、

「紀念」という表記もなされていたという話です。

 

これまでこのブログでご紹介してきた碑で言えば、

田中川改修紀念碑」は昭和26年(1951年)の建立ですので、

この情報に合致します。

 

逆に、昭和20年代以前に

「記念」という表記も使われていたのかというと、

明治43年(1910年)に建立された「下関市水道記念碑」には

「記念」と記されているので、

使われていたということになろうかと思います。

 

 

では、辞書には「紀念」についてどのように書かれているのでしょうか。

ねりえの持っている辞書で比較してみました。

 

まず、平成10年(1998年)発行の

『広辞苑』第5版(岩波書店)です。

これには「『紀念』とも書いた」と書かれています。

 

そして、昭和56年(1981年)発行の

『新明解国語辞典』第3版(三省堂)です。

これには「『紀念』とも書く」と書かれています。

 

同じ辞書の版の違いで比較したわけではないので

いささか詭弁を弄している感じもありますが、

昭和50年代には「書く」だったものが、

平成10年代には「書いた」に変わったようにも見て取れます。

 

なお、昭和30年(1955年)に発行された

『広辞苑』初版、また、『大漢和辞典』初版(大修館書店)では、

「紀念」について、それぞれ、誤用である、俗用であると

書かれていたそうで、

その頃にはもう、「記念」が正しい書き方だと

認識されていたようです。

 

 

そして、もう1つ有力な情報がありました。

昭和36年(1961年)の国語審議会において

「語形の『ゆれ』について」という報告がなされています。

 

その中で、

「今日では,『記念』のほうが広く行なわれていて一般的であり,

 『紀念』はあまり使われない。

 『史跡名称天然記念物』というように,『記念』を使っている。

 したがって,今日,『記念』を採ることに異論はないと思われる」

と報告されているのです(文化庁ホームページより引用)。

 

 

というわけで、大体昭和30年辺りから、

「紀念」という表記は失われていったのではないかと推測されます。

 

 

しかし、「馬関開港百年紀念」の碑は、

昭和40年(1965年)の建立ですが、「紀念」と記されています。

 

ただし、この題字を手掛けた内田重成は1868年の生まれで、

この碑が建った時には97歳になっておりましたから、

「紀念」という表記は当時既にあまり使われなくなっていたけれども、

彼はその古い表記を用いた、という考え方は

不自然ではないかと思います。

 

 

ちなみに、中国や台湾などでは、

今でも「紀念」という表記を用いるようです。