ある日のこと。
「上の山古墳」という古墳があるという
綾羅木の川北神社に行ってみようと思い立ちました。
神社を目指して歩いていると……
川北神社を示す石造りの案内柱を発見(^∇^)
これは石碑に……はカウントしないかな(^^ゞ
で、さらに歩みを進めると……
今度は上の山古墳を示す案内柱に出会いました。
で……
到着!!o(^▽^)o
川北神社は明治42年(1909年)に、
6社の合併により創建されました。
社殿造営工事中に上の山古墳が発見されましたが、
古墳上部を削る形で、神社を造ったそうです。
つまり、
この辺りは全部古墳(^^ゞ
説明板によると、
上の山古墳は全長100m余りの前方後円墳で、
規模、そして、多くの副葬品が発掘されたことから、
権力者の墓であったと推測されているそうです。
社殿側が後円部分、その前面に前方部分があったそうなので、
まあ、ザックリ言うと
こんな感じに古墳があったということですねo(^-^)o
それにしても、
「古墳の痕跡は何もないのかなあ」といった感じなのですが、
↑この写真の1番左。
後日知ったので、鮮明な写真を撮っていなかったのですが、
これが、上の山古墳から出土された
石棺の蓋なのではないかということみたいです。
だとすると……。
本殿の奥にある摂末社(と思われます。)の隣にある
この石も石棺の蓋に見えます。
これらの石棺の蓋(?)は石碑・モニュメントに含むかな?(^^ゞ