「下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館」から
弁財天橋を渡った先に、説明板が建てられています。
伊藤博文・梅子夫妻が、
付近に居を構えていたことが記されています。
伊藤博文・梅子夫妻が、そのほとりに居を構えていたという、
名池の井戸です。
1866年頃、伊藤博文(当時・春輔)は、
当時の妻・すみ(すみ子)と離婚し、梅子と結婚します
(詳細はこちらをご参照ください。)。
そして、この井戸のほとりに構えた住まいを、
「芳梅書屋」「名池庵」と称していたそうです。
この井戸が掘られたのは938年のことと言われています。
僧・空也がこの地に滞在した時、人々が水に困っていることを知り、
自身の錫杖で掘ったと言われています。
水質が良く、門司や彦島の人たちもこの水を求め、
船でやってきたそうです。
このことから、この地に「名池」の名が付けられることになりました。
もっとも、この井戸がある場所は現在は「名池町」の隣
「田中町」ということにはなるのですが(^^ゞ
昭和26年(1951年)、井戸は埋められかけましたが、
それは回避されるに至りました。
当時の井桁は、今の井桁の下に埋められているそうです。
場所はこちらです。