豊永長吉墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

新成人の皆様、おめでとうございます!!(≧▽≦)


新成人の皆様が生まれた頃、ねりえは大学生でした。

周囲にはPCを持っている人も多かったですけど、

ねりえは持っていませんでした。

下関に住むことになるとも思っていませんでした。


20年経って、ねりえが下関に住んで、

下関の石碑やモニュメントを紹介するブログをやっているなんて

当時の自分は知る由もありません(´∀`)

大体、当時「ブログ」なんてなかったですし(多分)。


新成人の皆様の前にも、

これからいろいろな未来が待ち受けていると思いますが、

頑張ってくださいねo(^-^)o



さて。



功山寺にある豊永長吉の墓です。



豊永長吉は、元々、印藤聿(のぶる)という名の長府藩士でした。

藩主・毛利元周の信任も厚く、側近として活躍しています。


坂本龍馬と最初に交流を持った長府藩士と言われており、

龍馬の政治的支援者でした。

後に龍馬の盟友となる三吉慎蔵を龍馬に紹介したのも聿です。


下関市立長府博物館には、

最後の長府藩主・毛利元敏から「放駒」と命名した、

龍馬愛用の飯椀と湯飲みが保管されていますが、

これらの品は龍馬が聿に贈ったものです。


明治維新後、聿は士籍を返上。

商人となり、「豊永長吉」に改名します。

実業家として、門司港造成事業など、多くの事業に尽力しました。




墓の側面には、山縣有朋の歌が記されています。


「逢ふことに 国とまさんと いひしこと

 なほまのあたり きくこゝちする」



場所はこちら です。

※功山寺墓地入口をお示ししています。