従三位勲三等農学博士三吉米熊墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

今日から大河ドラマ「真田丸」が始まります。

真田信繁(幸村)と言えば信州上田なわけですが、

下関に上田と大変ゆかりの深い方の墓があります。



功山寺にある三吉米熊の墓です。

昨日 ご紹介した三吉慎蔵の墓に対し、

正面を向くように建てられています。



三吉米熊は慎蔵の長男で、下関長府の出身。

内務省勧農局の駒場農学校(現・東京大学農学部)を卒業し、

長野県庁に就職。

そこで、蚕糸業に関するに技術・知識を習得します。


その後、イタリア・フランスの蚕糸業を視察。

帰国後、国内最初の蚕業学校である小県郡立蚕業学校

(現・長野県上田東高等学校)の初代校長に招かれ、

死去するまでの35年間、その任を務めました。


校長を務めると共に、長野県で初の国立学校である

上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)の設立にも関わり、

後には同校の教授も併任しました。



場所はこちら です。

※功山寺墓地入口をお示ししています。