功山寺にある三吉慎蔵の墓です。
長府藩士・三吉慎蔵は槍の名手で、坂本龍馬の盟友です。
寺田屋事件の時には龍馬と共におり、
伏見奉行の捕り方の襲撃を受けました。
寺田屋を脱出した2人は、材木小屋に身を隠します。
その時慎蔵は自決しようとしますが、龍馬に止められ、
負傷した龍馬を残して薩摩藩邸に救援を求めに走ります。
そして、龍馬も直ちに救出され、
九死に一生を得ることになるのです。
その後、龍馬は下関に居を構えますが、
龍馬から、万一の際における妻・お龍の世話を頼まれています。
実際、龍馬の死後のお龍は、
坂本家に引き取られるまでの3箇月の間、
慎蔵の自宅に身を寄せています。
慎蔵は明治維新後も長府毛利家に仕え、
併せて皇族の北白川宮家に仕えもしています。
場所はこちら です。
※功山寺墓地入口をお示ししています。
三吉家の墓は、墓地の中でも
毛利家墓所 に近い場所にあります。
最後の長府藩主・毛利元敏が、慎蔵の死を悼み、
毛利家墓所に近いこの場所に慎蔵の墓を建てるよう
命じたと言われています。