退職海軍大佐服部君墓誌銘 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に


功山寺の山門手前右下にある、服部潜蔵の顕彰碑です。



服部潜蔵は日本海軍の功労者です。


下関出身で、16歳の時イギリスに留学。

海軍練習艦隊の生徒になり、そこで航海術を学びました。

その後、22歳で帰国し、海軍に入隊。

明治14年(1881年)にイギリス皇孫が来日した際には、

その接待の任にも就きました。

しかし、病に侵され、

明治19年(1886年)に35歳の若さで死亡しました。



この碑は、潜蔵の死から2年後の

明治21年(1888年)に建立されています。


碑の題字は、明治維新後、日本海軍の整備に尽力した川村純義、

碑文は、同じく海軍で活躍した伊東祐麿が撰文を行い、

祐麿と同じく当時の元老院議官で、

書の大家でもあった金井之恭が書を手掛けています。



場所はこちら です。