功山寺の山門手前右下にある、佐村福槌・よね夫妻の碑で、
徳富蘇峰が撰文を手掛けています。
佐村福槌は、明治13年(1880年)に柳井に生まれ、
その後、下関に移り住みました。
15歳で船員となり渡米。
後、万国飛行大会を見て、飛行学校に入学。
明治41年(1908年)、日本人として初めて飛行免状を取得。
世界で225番目のパイロットとなりました。
妻・よね(旧姓・南地)は、明治23年(1890年)に
和歌山県串本に生まれます。
後渡米し、縫製業についていましたが、
航空に興味を持ち、飛行学校に入学。
航空免許を得ることはありませんでしたが、
女性飛行士が世界的にもほとんどいなかった時代に、
飛行練習を受けており、
東洋人初の女性飛行士と言える存在です。
その後、福槌はハリウッドに佐村飛行学校を開校。
多くの日本人飛行士を育てることになります。
飛行学校開校時にはよねも行動を共にし、
1914年(大正3年)に2人は結婚。
長男の懐妊に伴い、よねは飛行を止め、
また、しばらくして福槌も航空界から引退しました。
その後、1923年(大正12年)に帰国し、
春帆楼の下に関門高等洋裁学校を開校。
日本における公認洋裁学校の草分けとなりました。
本州最南端の串本と、本州最西端の下関。
両者の縁の1つとも言える顕彰碑です(^∇^)
場所はこちら です。