職人技(私の昭和16) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

(岩見沢・色彩館 エンゼルトランペット)

 

MIYUKIです。

 

 

桜の開花が待ち遠しくなる時期となってきました。

 

時代は変わっても、桜は(桜だけではありませんが・・)毎年同じ場所に同じようにきれいに咲いてくれ、ありがたいものです。

 

雪が雨に変わってきました。

 

私が子供の頃住んでいた家は、雨が降ると雨漏りがしていました。我が家だけではなく、当時は殆どの家が雨漏りをするのが当たり前でした。それもそのはず、当時の屋根は「マサ」という木を薄くスライスしたものを、瓦屋根のように貼っていただけのものだったからです。

 

だだ漏れとは言いませんが、見事な雨漏りで、バケツやらボールやらをあちらこちらに置いていました。

 

その「マサ」と呼ばれていた屋根も、鉄板の屋根に葺き替えられることになりました。

 

私が住んでいた4軒長屋のその作業の様子は今でも記憶にあります。

 

ものすごい勢いでバリバリとマサをはがし、それが玄関の前にどっさりと積もっていきます。多分凄いホコリだったのでしょうが、そのマサで作る正方形の飛行機(?)を作って、近所の子と夢中で遊んでいました。

 

そのうちに、キラキラと輝く綺麗な鉄板の屋根に姿を変えていくのですが、その大工さんたちの作業がこれまた凄く、見入っていました。

 

今のようにくぎ打ち機などなかった時代です。

 

大工さんは釘をグワっと鷲づかみにし、バッと口の中に放り込みます。その釘を実に器用に一個づつプップッと口から出して、凄いスピードで打ち付けていくのです。

 

友達と皆でその光景を、ただじっと見つめていました。

 

多分、口をポカンと開けたまの抜けた顔をしていたことでしょう。

 

その内、必ず真似をする子供が現れるものですが、当然そうなります。

 

大工さんに見つからないように、みんなで釘を口の中に入れてみました。先っぽがほっぺにチクチクと痛いばかりか、変な味がします。

 

そんなことを真似たりしたものだから、余計に大工さんのあの技に尊敬の念をこめながら、見とれていたものです。(昔の大工さんは鉄分の不足にならなかったでしょう・・)

 

自動車が走っていない時代ですから、家の前の狭い道路は大工仕事の作業場ようになり、カンナ削りもあちこちで見る事が出来ました。

 

シャー、シャーと、それはそれは薄い透き通るような、カンナで削られた木の薄皮が、辺り一面に散らばっていきます。

 

誰が一番長いカンナくずを見つけるか競争したりしながらも、紙よりももっと薄く削るその作業の凄さに見とれていたものです。

 

時折、刃の調整のために、端の方をコンコンと叩いていました。

 

見とれていたと言えば、今の時代見る事が無くなった「畳の張替え」がありました。

 

これも定期的にやってきては、各家の畳の張替えを外でやるのです。

 

畳に合わせて、ゴザをザクザクと大きなナイフのようなもので切り落としたり、ものすごく太い針でもってヘリを縫っていきます。針が分厚い畳の下に突き刺さっていく様子、肘を使っての独特の動きがあり、キュッキュッと締まっていく音がしていました。

 

自動車が走っていなかった時代ですから子供の散髪もタライでの洗濯も外でしていましたし、様々な作業が外で行われていました。工場の扉も開け広げられていて、中の青い火花を散らす溶接作業を見る事も出来ました。

 

大人の職人技を目の当たりにしていた私たちの時代は、そんな背中を身近にみているので、無意識のうちに大人は凄い、という思いがあったように思います。