伝染病(私の昭和 その7) | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

MIYUKIです。

 

この度の北海道への度重なる台風の襲来での災害は、激甚災害に指定されたようです。

 

日本の食糧庫と言われる北海道の農産物に大きな被害が出て、今後の影響が心配されます。

 

農地の被害の上に鉄道網、道路が破壊されたため、折角収穫した農産物の輸送に困難を極めているようです。

 

 

さて、私たちの身の回りには実に豊富な物資と食糧があふれ、これは私が子供だった時には考えられない事でした。

 

インスタントラーメンなどが出始めたのは、私が小学校中学年あたりからでした。

 

しかしながら、貧しかった幼い頃に口にしていた食べ物の中身を考えると、必ずしも「貧しい」とは言えないのかもしれません。

 

おやつと言ったらふかしたサツマイモやカボチャ、おかずも今盛んに食育で提唱されているような内容のものばかり・・・

 

生活習慣病に悩まされる昨今の事を考えると、実はかなりいいものを口にしていた事になります。

 

癌や血管系の病気、俗に言う生活習慣病に陥りやすい現代と違い、当時は不衛生からくる伝染病が脅威でした。

 

伝染病ではありませんが、定期的に学校から配られる「虫下し」の薬を飲んだり、夏休みの前ともなると、栄養補強として「肝油」の販売をしていました。

 

私の家では買いませんでしたが、友達が汽車の形をしたケースに入ったカンユを1つ分けてくれて、ゼリーのお菓子のように美味しかったという記憶が残っています。

 

今や、様々なものに抗菌が施され、清潔に関しては神経質すぎるくらいになっていて、そのことが原因でアレルギー患者が増えたとか言われてもいます。

 

食糧が豊富でなかった当時は、サラリーマンと言えども、空き地があると家庭で食べるくらいの畑を多くの人が作っていたし、鶏なども飼っていました。

 

人糞を肥料にしていた畑の作物や、鶏などの家畜を身近に飼っていた状況を考えると、不衛生と映る光景も、当時は当たり前のことでした。

 

私がいくつの時かは覚えていないのですが、ある時、伝染病が出たということで、近所の家々が一斉に消毒されたことがありました。

 

白い服にマスクをした男の人たちが、大きな機械を動かし、一軒一軒長いホースを玄関先から入れて、白っぽい粉、煙(?)のようなものを勢いよく家中に吹き付けます。

 

長屋の二間しかない当時の小さな家・・玄関を開けるとそのまま縁側(ああ、懐かしい、今の家には縁側はありませんね~)の裏の戸が見えるような家だったので、消毒剤も勢い余って裏戸からそのまま抜けていったかもしれません (x_x;)

 

消毒剤がかかっては駄目な所には覆いをして、かなりの時間家の中に入る事が許されず、中には外で食事をしている家族もいました。

 

非日常的なこの伝染病事件、大人たちは大変な思いをしただろう事は想像できますが、よく分からない子供の私たちはワイワイと近所の子と遊んでいました。

 

幼い頃のこの出来事、かなり大人になってから知ったのですが、その伝染病(病名はよく分かりませんが)の源は我が家だったのです!

 

しかしその直後の検査で伝染病などではなかったという事が分かり、みなホッとしたようです。

 

今の清潔日本を考えると、当時のような時代が遠い昔の事のように感じますね。

 

あ、実際に遠い昔話か~~   (-"-;A