ヤスリ掛けしています。 | MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

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陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

私の練上陶芸の手伝いは、殆どがデスクワークなのですが、ヤスリ掛けは人手が必要なので、小さなものを中心に手伝っています。


色土を何層にも重ねて(金太郎飴のように)模様を作っていく練上は、その色土の風合いを生かすために釉薬を使わなかったり、使ってもわずかなので、ヤスリ掛けという作業をしないと、表面は石のようにザラザラになるし、また、模様をクリアにするためにも、ヤスリ掛けの作業は不可欠になります。


私はこの単調で汚れる作業が嫌いです。

でも、作業を始める前には一応心に誓うのです。

文句を言うのは止めよう・・今日こそ愚痴らないでいよう・・


でもやっている最中に、ついつい口に出てくる言葉・・


「そんなにまでしなくても」

「ここまでしなくても充分綺麗になっているよ」

「こんなところまで人は見ないから」


返ってくる来る答えはいつも同じ、   


「必要だからやって」




単調で土埃にまみれるから嫌いなのか?

自分の心の中を探ってみる。

どうもそうでは無いようだ・・・


つまり、私には自分のやっている作業に意味が見いだせず、意味のないと思っている事をやり続ける事への不満が、一層この仕事を嫌いにしていた。


がしかし、実は自分のそんな心持が変わる出来事が二つありました。



ある日テレビを見ていた時、それは漆かガラスが七宝かその種類は既に忘れてしまいましたが、その細工がとても見事で溜息が出るほど。

解説者が、「人が見ただけでは分からない所にまで手が施されている事で、見た時に深みが出てくる」というような事を言っていました。

カメラが細部にまでズームされ、その作品の完成度はこんな細やかな所まで手が行き届いているかさこそ、と説明していました。


もう一つは、あるギャラリーのオーナーとの話の中でした。


オーナーは私に向かい、「磨きが大変でしょう?」と。

私はここぞとばかりに慰めてもらいたく、その大変さ加減を喋りました。

しかし結果は逆。


慰めてもらうどころか・・・・怒られちゃいました!(ガーン)


「人の気づかない所で努力しないと、人に感動は与えられない!」

とかなんとか・・・


言われた時は、心の中で

「私はもの作りではないのに・・」

とつぶやいていましたが、時間が経つにつれ、言葉の意味がじわじわと。


この二つの経験で、やっている事の必要性、意味が分かり、ヤスリ掛けはやはり嫌いですが、虚しさは感じなくなりました。


数日前からこの作業に入ってます。


悟ったはずの私は相変わらず・・・


「え~~!ウッソ~、」


変われない  ・・・ 奴・・・( ̄_ ̄ i)