孤独と不安のレッスン | One of 泡沫書評ブログ

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孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)/鴻上 尚史
¥680
Amazon.co.jp

最初にお断りしておく。いい本です。ただし、条件付で。

本書を手に取った動機は、この不安の絶えない人生というクソゲーをなんとかゲームオーバにならないよう、日々迫りくる不安感をどう飼い慣らしていけばよいのか? その参考事例を知りたいと思ったからであった。レビューを拝見するに、なかなか評判もよさそうなのでアマゾンでポチったのだが、残念ながらその目的は必ずしも果たせなかったようだ。いや、この本が悪いといっているわけではない。こうした問題はすべからく個人的なものであり、お手軽なハウツー本で普遍的に解答が得られるような問題ではない。各個人がそれぞれ個別に自分の中の魔物と対峙し、なんとか道を見つけていかねばならぬ類の問題だ。それはわかっている。それは十分にわかった上で、何かきっかけはないものかと手がかりを探したのだが、ついにそれは見つからなかった。

これは要するに、レベル感の問題であろう。鴻上氏の主張はどれもしごくもっともだし、書かれている内容については大筋で賛意を示したいと思っている。中にははっとさせられる記述もあるが、いかんせんわたしがもとめる救いはここには書かれていない。誤解を承知で生意気なことを言わせてもらえば、こんなの、根暗な人間ならとっくに知っていることばかりである。いまさらレッスンをしようといわれても、「え?これが?」という反応をするより他ない。

たとえるなら、普段から毎日満員電車に乗って会社に行ってるのに、「社会性を身につけるために、ちょっとは我慢して満員電車に乗ってみよう」というような感じだろうか。いや、たとえ話が下手くそだった。要するに、普段から普通にやっていることを「やってみよう」と諭されているような感覚ということがいいたいわけである。言われたほうは「えっ?」という反応をするのも仕方ないであろう。

そもそも冒頭の記述からして「?」がたくさんつく。たとえば、導入部には次のように書かれている。

あなたは、いろんなことを考えます。でも、たったひとつ、疑問に思わないことがあります。
 それは、「どうして一人じゃいけないんだろう?」ということです。
(中略)
「どうして、一人で昼食を取ったらみじめなんだろう?」「どうして、一人で帰ったら恥ずかしいんだろう?」「どうして、一人でお酒を飲んだらいけないんだろう?」「どうして友達がたくさんいないといけないんだろう?」
 もっと大胆な疑問もあります。
「どうして、いろんな人から定期的にメールが来ないと恥ずかしいんだろう?」「どうして携帯電話が一週間、鳴らなかったらおかしいんだろう?」「どうして親友がいないといけないんだろう?」

 この疑問にたどりつけば、あなたは、一番大切な問いにやがてたどりつくでしょう。一番大切な疑問、それは、「自分が何をしたいんだろう?」ということです。

そもそもこんな疑問を持ったことがない人には、これを「孤独のレッスン」と言われても困るだろう。一人でいることが恥ずかしい? よくわからない感覚である。だがわたしがそう思わないのと同じように、世の中にはそう感じる人も当然いるのであろう。前述したように、これはレベル感の問題であると思う。

わたしはここに書かれているようなことは考えたことも無く、むしろ、自意識との対峙に疲れ果てて、それでも湧き上がる自意識の前に、落としどころをうまくみつけることができず、自縄自縛に陥るタイプであった。したがって、本書で鴻上氏が説く説法はどれも、まあ普通そうだろうな、と思えるような常識的なことばかりに思えた。

つまり対象としている読者像がまったくずれているわけだ。それを示す非常に面白いエピソードが後半に収められているので、少し長いが紹介して終わりにしたいと思う。鴻上氏は東京の某有名私大で長年、演劇の講義をされているらしいが、折に触れて実家住まいの学生たちに一人暮らしを勧めているらしい。そうすると、実家暮らしの学生(たいていは女子学生)から、次のような反応が返ってくるらしい。

「どうして、実家を出なければいけないんですか?」

それに対して、鴻上氏は次のように答える。

「大学生にもなって、実家に住んでいるってことは、うかうかしてると、就職してもそのままってことになるでしょう。とすると、家を出る時は、結婚のときが初めてってことになるよね。実際、そういう人は多いし。で、結婚だから夫(や妻)と一緒に暮らし始めるだろう。結果的に、人生の中で1回も、一人暮らしを経験しないまま、年を重ねることになるんだ。それはつまり、1回も『孤独と不安のレッスン』をしない人生を送るってことなんだ」

そうすると、女子学生は困惑した様子で、

「それは、いけないことなんですか?」

とまあ、こんな具合だ。正直これ以上論評するのは、なんだかいたいけな少女を苛めているたちの悪いおじさんのような気持ちになってきたので、つづきは本書で確認していただきたいと思う。言葉は悪いが、こんなことすら考えたことの無い人には、「ぬるま湯でヌルヌル生きてきやがって、ペッ」というような、ひどく非生産的なことを考えてしまうので大変反省しております。

と、いうことで、さんざクサしてしまったようだが、基本的にはいい本です。気づきは必ずあるでしょう。ただし、やはり対象読者は前述の「都内在住のぼんやりした箱入り女子学生」のような人であることは否めません。