- 朝日新聞の正義―逆説の新ゴーマニズム宣言/小林 よしのり
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今から10年くらい前はまだインターネットがそれほど浸透していなくて、まさか10年後に新聞をはじめとする大手メディアが凋落するとは、誰も夢にも思っていなかっただろう。その当時はまだ新聞の権威は高く、多くの人は疑いなく新聞に書いてあることを信じていたし、メディアリテラシーなんていうような言葉は一般にぜんぜん膾炙していなかった。普通の人は新聞にカラーがあるなんて考えもしなかったはずだ。
しかし一方で「ゴーマニズム宣言」や「新しい歴史教科書をつくる会」などのアウトサイダーが「従軍慰安婦」問題における大手メディアの「偏向」ぶりをいち早く指摘し、新聞の報道に対して真っ向から異を唱えていたのもこの時期だ。いわゆる「自虐史観」と総括される左翼的な言説全体に対する反論の「はしり」のようなものだろう。この本はこうした文脈で世に問われたものだ。なぜタイトルに「朝日新聞」としたのか、それはやはり日本の「左翼的なるもの」を一番表しているのが朝日新聞だからだろう。わたしには信じられないが、朝日新聞はかつて日本の知性を代表する新聞と言われていたらしい。今や朝日新聞と言えば反知性主義の代名詞で、メディア全体が「マスゴミ」と揶揄される中にあって、さらに朝日だけは特別に電波呼ばわりされる始末だ。こうした流れとなったのは、本書の力が大きいのではないだろうか。
本書の流れはインターネットにも波及し(と、わたしは勝手に思っているが)、2000年ごろには「狂想 主に朝日のゆんゆん投稿 」というサイトが立ちあげられるなど、2ちゃんねるや個人サイトなどで大手メディアを批判するのは一種の流行となったように思う。とにかくマスコミは馬鹿にするという、ある種のスノビズムすら見られるようになったのは残念なことだが、これまで素朴に信じていたものがまるでデタラメだったと知れば、多少感情的になってしまうのは致し方ないことだろう。(最近はこうした反動が行き過ぎて、なんでもかんでも「マスゴミ」呼ばわりすることがメディアリテラシーだと思っているひとも増えたような気もするが・・・。)
今の水準で考えれば、新聞というのはどこも偏向していて、それは程度の差はあってもどこも同じであるというのが一般的な見方だろう。むしろ人間の言説なのだから完全に中立というのは原理的にあり得ない。したがってジャーナリズムというのを少しでも考えると、日本の大新聞のやっている「不偏不党」とか「客観報道」というのは存在せず、問題はむしろそういう態度をしつつ偏向した情報を流す大手新聞のやり方である。このような認識は、このインターネット時代にはもはや「常識的なメディアリテラシー」だが、こうした考え方が一般的になったのは、やはり本書の功績が大きいだろう。
今となっては既にそうした議論をはるかに超え、新聞というメディアそのものが存亡の危機にさらされているが・・・それはまた別の話になるので、このへんで。
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