テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか | One of 泡沫書評ブログ

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テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか/吉野 次郎
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わたしの持っている初版は2006年12月と結構古くなってしまったが、当時はなぜか読んでもまったく頭に入ってこなかった。最近、またぞろテレビを買い替えないとテレビが見れなくなるという恫喝がかまびすしくなってきたため、「地デジ」について復習する意味も込め、改めて読み返してみた。すると、不思議なことにすんなり頭に入ってくる。我ながらじぶんの頭が信頼できない。



センセーショナルなタイトルから、一見インターネット業界からの視点でみたテレビ業界へのよくある批判かと思っていたのだが、内容は割と中立な視点で、テレビ局のビジネスモデルを構造的に解き明かし、その文脈でなぜテレビ業界は閉鎖的なのか、とくにインターネットという新しいメディアに対して敵意をむき出しにしているのかという点をわかりやすく解説してくれているものだ。たいていテレビ局に関する評論は、放送免許を楯に既得権益を手放さず、一部の上層部が権益を独占している点をもって閉鎖的であると批判するというパターンが多いが、テレビ局の仕組みを解説してくれる本は意外にあまりなかったのではないだろうか。



本書は「テレビ業界の人間は、なぜネットをもっと活用してコンテンツを販売しようとしないのか」というインターネット側の主張、それに対する「インターネット業界の連中は、テレビのことがまるでわかっていない」とまったく賛成しないテレビ業界の姿勢を、「なぜだろう」というところからはじまる。この素朴な疑問に答えるために、著者は2兆円のテレビ広告市場を築いた歴史、キー局と系列という仕組み、NHKと民放の二元体制、家電業界との関係、芸能界との蜜月、下請構造、果ては総務省との関係など、およそ現在のテレビ局およびそのビジネスモデルの構造を端的に解説してくれる。読者は、最後まで読み進めれば「テレビはなぜインターネットが嫌いなのか」という疑問に、「インターネットなどにコンテンツを流したりなどしたら、テレビ局がこれまで築いてきた自分たちが安全にかつ確実に儲けられるビジネスモデルを崩すことになるからだ」と明確に答えられるようになるだろう。




楽天がTBSの株を結局手放すなど、本書が書かれた時代(といっても3年前だが)にはまだ「放送と通信の融合」のようなキーワードが世間に踊っていたことも今は昔である。楽天は結局テレビ業界の圧力に屈し(?)、TBS株を手放した。本書においてもテレビ広告は減少傾向に転じたとあるが、確かには微減に転じているものの、やはりまだまだインターネット広告が逆転するような流れは少なくとも国内に関してはみられない。テレビ業界はまだまだ安心してよいのではないか。50年の歴史をかけて築き上げられた強固なビジネスはそんなに簡単には崩壊しない。これはもちろん既存のテレビ業界の中に自由な競争を阻む勢力が多いからでもあるが、テレビが特殊なのはそれ自体が社会に影響力を直接行使できるという点で、他の多くの既得権益のスタイル(農協や郵便局)と大きく異なっている点であろう。自らが輿論を誘導できるというのは他の既得権益者にはない大きな強みだ。ロビー活動も反政府キャンペーンも自在に操れる。国民性を鑑みても、テレビは日本のお茶の間の大切なお供である。アメリカのGoogleのような形でインターネット側が極端にイニシアティブを取ることはまだ先のことになるだろう。



しかし合理的に考えれば、通信だろうと放送だろうと、コンテンツを安全にあまねく行き届かせることができれば、手段はどちらでも構わない」はずだ。ブロードバンド環境(通信環境)がこれほど整備された今、通信と放送は特に区別することもなく、本来のメディア(媒体)という意味で等価であるはずだ。こうしたシンプルな構造が理想だというのは明らかだが、これに対して、上で述べたような意味で「最強の既得権益者」であるテレビ業界がどのように対応をしていくのだろうか。


本書が上梓されてからすでに3年が経過しようとしているのだが、著者がその中で語っている話がすでにやや古くなっているところに、この業界の激動ぶりがよくあらわれていると思う。さて、2011年にはいよいよ地上アナログ放送が終了し、地上デジタル放送一本になる。その時、はたして既存の放送系勢力がどのように市場でプレゼンスを発揮していくのか非常に興味があるところだ。