- 田中 森一
- 反転―闇社会の守護神と呼ばれて
ようやくネット難民から脱却、フレッツ光によるネットワーク接続生活に入ることができた。フレッツは妙な接続方式で、いちおうそういう業界なのだが理屈がよくわからない。なんとなく不安だ。まあ、どうでもいいことである。
さて、超多忙の中にあって、何かに抵抗するように本を読んでいた。今回取り上げるのは流行りモノで恐縮だが、田中森一の半生記である。
この人、よく知らなかったのだが、本からただよう異様な黒さが前々から気に入っていた。版元は幻冬舎だし、オビもそれっぽい。しかし、流行に乗るのが癪だから敬遠していたのだ。買う気になったのは、「SPA!」で宮崎御大とこの本の著者が対談していたのを読んだから。
田中は元検事の弁護士、いわゆる「ヤメ検」なのだが、弁護する対象が一般に言うアウトローやバブル紳士ばかりだったため、「闇社会の守護神」などと呼ばれており、古巣の東京地検特捜部などからは蛇蝎のごとく嫌われていたようだ。現在は石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で逮捕・起訴され、上告中だという。
昭和史とそのままリンクするようなかれの半生は、敗戦の2年前、1943年に長崎県の田舎町・平戸ではじまる。漁師の長男としてうまれたかれは、当時の田舎にあっては難しい進学という道を選んだ。その後、岡山大学法学部に進学、司法試験に合格したという。
大阪地検で活躍した後、東京地検に異動、そこではエース検事として多数の事件を扱ったが、上層部との軋轢が原因で退職、弁護士に転身した。日本がまさにバブルに浮かれている真っ只中で、著者の「反転」人生はここからはじまる。
バブル時代、「バブル紳士」といわれた多くのフィクサーや、今のようなショボくれた代議士たちとはちがうタフな政治家、そしてヤクザが織り成す昭和史は、わたしのような第二次ベビーブームに生まれた世代からすれば別世界のように感じられ、それがたまらなくエキサイティングである。おもしろい。
安倍晋太郎に竹下登などの大物代議士、許永中や伊藤寿永光といったフィクサーたち、そして山口組若頭の宅見勝。こんな人物たちと渡り合っていたというのだから、並みの弁護士ではない。
著作の節々に見え隠れする「アウトローへの親近感」は、かれが生来のアウトロー弁護士であることをうかがわせる。なぜアウトローに肩入れするのか。田中が自ら分析するに、貧しい少年時代を送っていたため、エスタブリッシュメントへの対抗心みたいなものが原因だという。その気持ちは非常に良くわかる。検事時代も、叩き上げの検事は非常に有能であり、一方で出世するエスタブリッシュ検事は、生まれも育ちもよいお坊ちゃんが多く、そういう人間が出世し、また、エスタブリッシュメントに組み込まれていく。日本に、未だ階級が存在するということを再認識させてくれるくだりである。
著者の周りにいたバブル紳士たちは、バブル時代ということもあっただろうが、とにかくカネの使い方が半端でなかったという。その心底には、極貧の生まれであることに起因するエスタブリッシュメントへの屈折した感情があったのではないかと、著者はいう。カネを出せばいい女が抱ける、格式のある人間がひれ伏す。そのために札束で頬を叩くというわけだ。これをさもしいと思うか、惨めだと思うかはひとそれぞれだが、わたしはすばらしいと思う。
カネがあればエスタブリッシュメントすらもひれ伏す。しかし、その先にいる本当のエスタブリッシュメントはそうしたハネッ返りをさまざまな権力でもって圧殺する。そういう日本の構図が改めてよくわかる。田中も、おそらくその犠牲者の一人なのだろう。しかし、だかといって決して善人ではない。善人ではないが、だからこそ人情などという大時代的な感傷を感じずにはいられない、そんな読後感である。かなり、オススメ。
なお、仮に石橋産業事件が本当に詐欺事件であり、かれがそれに加担していたとしても、わたしは別にそれを倫理的に責める気には到底、なれない。エスタブリッシュメントにたいする闘いを挑んだ人間は、左翼でも右翼でも、賞賛に値する。事実がどうあれ、行動によってかれはそれを証明したのだから。