- 2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)/西村 博之
- ¥777
- Amazon.co.jp
わたしのこの拙い書評だが、アクセス数がそれなりに急増した日がある。それが拙ブログ「中年童貞
」の回なのである。わたしは別にアクセス数を増やそうと思っておらず、むしろある一定の法則に基づいて機械的に作業をするようにこころがけている。たとえばブログのタイトルは、書評なら必ず題名をつけるようにするなどとし、なるべくキャッチーにならないようにしている。また、内容についても、自分で言うのもなんだが大して秀逸なわけではなく陳腐なものだ。であるのに、アクセス数にムラがあるというのは、ひとえに出版社のタイトルマーケティングが秀逸なことによるのであろう。
そのなかでも扶桑社新書は、ひとびとの気になるところを突くのが非常にうまいのではなかろうか。今回も、話題になりそうな著作である。なんせ、あのひろゆきの書いた本なのだ。(しかし、このタイトルはいただけない。また「なぜ○○は○○なのか?」という、お決まりのタイトル。いくら売り上げのためとはいえ、これはあまりにも芸が無い)
アメーバブログをやっていてひろゆきを知らない人はいないと思うが、あらためて紹介すると、かれは日本最大級の電子掲示板「2ちゃんねる」の運営者である。「2ちゃんねる」はあくまでもひろゆきの個人掲示板であるにもかかわらず、日本で最もメジャーな掲示板であるところが、ひろゆきを特異たらしめている。やはり、規模があまりにも巨大だからであろう。「ふたば」は知らなくても、「2ちゃんねる」は知っていたり、あるいはまた、大マスコミが言うところの「インターネットの掲示板」といえば「2ちゃんねる」のことであったりと、そのネームバリューは明らかにその「規模の巨大さ」によると思われる。
どうも話が発散してしまう。
わたしは「2ちゃんねる」にはそれほど造詣が深くない。昔、少しアクセスしていたことがあるくらいで、いまは意識的に「2ちゃんねる」には近づかないようにしている。それは、尾篭な話だがついつい「荒らしてしまう」からであり、あそこに書いてあるようなことを余裕をもって流せないからだ。つまり、「釣られる(*1)」ことが多い、「リア厨(*2)」だから自粛しているわけだ。よって、いまはどちらかというと「2ちゃんねら」と呼ばれる人たちの二次情報によって、「2ちゃんねる」の今を推し量っている点をご了承いただきたい。VIPPER(*3)は知っているが、わたしはVIPに行ったことはない。そのレベルである。
(*1)釣られる:ウソやネタなどに騙されたりして、感情的になってしまうこと
(*2)リア厨:リアル厨房、すなわち中学生(中坊=厨房)のこと。転じて、思慮の浅い、精神的に未熟な人間のことを嘲弄して使用される。類語に「消防(小学生)」というものもある。
(*3)VIPPER:「2ちゃんねる」の代表的な掲示板群のひとつである「VIP板」に集う人たちのこと。もっとも「2ちゃんねる」的であり、「2ちゃんねら」のメンタリティをよく表していると考えられている。
「2ちゃんねる」は、かつて西鉄バスジャック事件の「ネオむぎ茶」で一気にメジャーになり、大マスコミからは反社会的のレッテルを押され、まるで犯罪の温床のように言われていたり、その匿名性が問題にされていたりする。また一般に企業や学校などでは、「2ちゃんねる」へのアクセスはブロックされていたりすることが多い。その意味で、一般通念としての「2ちゃんねる」は、色々な議論があるにせよ、どう考えても「ろくでもないところ」として認識されているといってよい。
本書では、こうした話題に事欠かない「2ちゃんねる」について管理人自らが分析を披瀝するとともに、現在のIT業界やインターネットの現在と未来についてもその鋭い分析が披露されている。キィワードだけ挙げれば「Web2.0」「グーグル」「ガンホー」「セカンドライフ」「YouTube」「Winny」などなど・・・。「時代に取り残されたくない!」「2ちゃんねるは既存のメディアのあり方を根本的に変える!」などとインターネットに過剰な期待を羨望を抱いている人は必読であるといえる。一回、冷静になるためにもひろゆきの「悲観的」な意見を聞いてみるのもいい。ただし、意外に(?)、かなり技術的なアプローチで論じられているために、コンピュータリテラシのない人には少々難しいかもしれない。
ひろゆきは本書において、自らの「2ちゃんねる」を評して「基本的には需要があるぎり、2ちゃんねる的なものはなくならない。2ちゃんねるがなくなれば、誰か他の人が似たようなものを作るはず。しかし、だからといって、2ちゃんねるがそれほど大した存在であるわけではない。エスタブリッシュメントから見れば、今も昔も取るに足らない存在である」という趣旨のことを語っている。慧眼といっていいだろう。かれは管理人であるが、拘泥していない。そこがひろゆきのすばらしいところでもあり、成功の秘訣でもあるのだろう。そこには、「釣る」側と「釣られる」側の、明らかな断絶が見え、いつまでも「釣られる」側にいるわたしのような凡人からすれば、少々切ないことであるが。
わたしの「2ちゃんねる評」は、「大マスコミの一枚岩体制に蟻の一穴を開けた偉大なるカウンターメディア」であり、「マス的なメディアリテラシを向上させるための言論機関」であるが、それ以外にあまり意味は無く、多くの場合は、単なる衆愚に過ぎないというものだ。ひろゆきとは少し異なるが、「ある面ではすばらしい意見や認識も見える。が、基本的にはだいたい陳腐だ。ただ、大きいというところが特殊」という理解では一致していると思う。世の中と同じであろう。すばらしい人もいれば、ダメな人もいる。それだけのことである。利用できる人はすればいいし、騙される人はやめたほうがいい。
一点、残念なことが。いくら初版とはいえ、あまりにも誤字脱字がひどい。ちゃんと校閲しているのか、気になる。