- 第三の時効/横山 秀夫
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なにやらAmazonリンクの仕様が変わっていて、画像がくっついてくるようになっていた。
Amazonの検索はアフィリエイトに統合されたという。
本当に、世の中、節操がないというか。
しかし、そのおかげで、タダで文章を書くスペースを提供してもらっているわけだから、持ちつ持たれつというやつだろうか。この広告料も、その何パーセントかは、藤田氏のフトコロに入ると思うと心が痛む。
さて本題に戻って、今日は横山秀夫の「第三の時効」である。
横山氏の代表作、というより、いちばん有名な作品はおそらく半落ち だろう。寺尾聰主演で映画化もされたベストセラーである。じつはわたし、以前これを読んだことがあるのだが、たいした感慨をいだかなかった。たしかに面白い展開であり、ストーリーテリングの巧さはまさにプロ、クライマックスの「種明かし」も非常に秀逸で考えさせられる展開であったと思う。ただし、それ以上でもそれ以下でもなく、端的に言えば著者の別の作品を手にとって見ようと思わなかったということだ。たんにわたしが酷薄な人間だからだろうか。
しかし本作は違った。引き込まれるようにグイグイと読んでしまった。本作はいわゆる「オムニバス」形式で、解説によるとこれは横山の人気シリーズ「F県警モノ」らしい。たしかにこれは面白い。非常に陳腐な表現で恐縮だが・・・。
解説子の池上冬樹によれば、これは「モジュラー形式」というエンターテイメントの技法を駆使しているらしい。複数の事件が同時並列的に進行しているさまを描いているようなものをそう呼ぶらしい。素人考えでも、たしかにここまで色々登場人物が錯綜しているなかで、話をつぎつぎと立体的に並べていくのは、おそろしく難しいだろうと思う。わたしごときでは、話のつじつまを合わせるだけでも無理というもの。池上が評するに「(こうしたモジュラー形式は)海外の警察小説ではごく普通のスタイルだが、日本では少ない。敬遠されるのは、何より卓越したストーリーテリングと巧妙なプロットが要求される」と言っているが、さもありなんという感じだ。
しかし、わたしが引き込まれた理由はストーリーテリングの巧妙さではない。それだけならすでに「半落ち」で横山ワールドに引き込まれていたはずだ。また、わたしは海外小説をあまり受け付けない。ストーリーテリングの手法は日本の書き手よりもむしろ欧米の作家のほうが優れている。ではなぜか。
そのキィワードは、「キャラ萌え」ではなかろうか。
ライトノベル系やゲームばかり親しんでいると、ストーリーに引き込まれないと納得しないくせに、同時に魅力的なキャラクタがたくさん出てきて、その中でじぶんのお気に入りのキャラクタがいれば満足するという性質になる。この法則はあえて一般化して主張したいが、どうだろうか? あながち、間違いではないと思うのだが・・・。
たとえば京極夏彦や森博嗣などのメフィスト系は明らかに「キャラ萌え」を意識している。もちろん秀逸なストーリィテリングが伴っていなければ意味がないのだが、それはどちらかというと必要条件であり、十分条件ではない。ストーリィテリングがあるのは前提で、その上でキャラ萌え要素があって始めて名作たりうる。その意味で、横山の「第三の時効」は非常に萌える要素のあるオヤジが満載だ。