明石 散人 (著)
明石散人氏といえば名前は聞いていた。歯に衣着せぬ痛快な人なんだろうなぁと想像していたら、それだけでなく、べらんめぇ口調の、とんでもなく口の悪いオッサンだった。だが、それがいい。
本書は「真説」と銘打った、歴史モノの小論を集めたものだ。もとは「リアルタイム日本史」という歴史シリーズだったものを再録、加筆修正した文庫である。らしい。
おそらくファンには先刻承知なのだろうが、全編を通じて著者の論は切れ味鋭く、テンポもいい。多少強引とも思える論証も、ここまですごまれるとつい頷いてしまいそうだ。
じつは2007年現在、明石氏のような主張はかなり歴史ファンの間では一般的なものになりつつあり、出版から10年経った今読むとそれほど新鮮味も無い。おそらく、これはこの十年くらいで日本人の平均的なリテラシが向上したためであろうと思うが、それでも、この著作を10年も前に既に問うていたことが私には、ただ「すごい」と思えるのである。
ではいったい明石氏の「真説」とはいったいどのようなものか。歴史がそれほど好きではない人たちも、「忠臣蔵」くらいは知っていよう。松の廊下、吉良上野介、浅野内匠頭、そして大石蔵之助率いる47人の「赤穂浪士」。年末のテレビ東京で必ずやっているので、だいたいのアウトラインはおそらくすべての日本人の頭にあると思う。これは一般には次のような「史観」で理解されていた。
「時は元禄、徳川綱吉の治世。浅野内匠頭ははじめての勅使饗応を仰せつかったが、なにぶん田舎の出ゆえ、作法のなんたるかを知らなかった。そのために饗応役の先輩にあたる吉良上野介に教えを乞うたが、吉良には田舎者と辱めをうけてしまう。それを恨みに思った浅野は、あろうことか勅使饗応のその当日に、『松の廊下』でおもむろに吉良を切りつけてしまうのである。
『吉良め、この間の恨み、忘れてはおらぬ!』
『浅野殿ー、殿中にござる! 殿中にござるぞー!』
『離せ、離してくれ、吉良だけはこの手にて斬らねばおさまらぬ!』
・・・と、言ったかどうかはわからないが、殿中にて刃傷沙汰に及んだ浅野は、当然ながら綱吉の逆鱗に触れ、即刻、切腹を申し渡される。そして、領地没収となってしまった浅野家の『忠臣』、家老の大石蔵之助は、主君への忠義を第一に考え、浅野家の名誉回復のため、吉良邸への討ち入りを決意する・・・」
「志の人、浅野と、それをいたぶる吉良、そしてあだ討ちに立ち上がる忠臣たち」という構図に、ほとんどの日本人は疑問を抱くことはないだろう。だが明石氏は「忠臣蔵」を、こう斬って捨てる。
「悪いのは浅野内匠頭だ」
要約すると、「粋、無形の文化を持った吉良から、賄賂を要求されたと逆恨みした浅野が、勝手に逆上して刃傷沙汰に及んだという性格の事件である。こうしたメンタリティは、知財や著作権というソフトウェアに対して敬意(ともちろん金)を払えない日本人の精神に依拠している」ということらしい。
じつは、現在の研究では浅野の刃傷は逆恨みや復讐などではなく、「統合失調症」すなわち精神疾患が原因だった可能性が高いことがわかっている。したがって文化の価値を理解せず逆恨みしたという構図そのものが否定されてしまうため、明石氏の論はいまとなっては多少、見当違いであると評価せざるを得ない。だが、大事なのは、これを1996年当事に発表したという、その先進性である。誰もが疑わなかった「常識」を、見事に切り開くそのセンスは、まさに歴史界のパイオニアといっていいのではないだろうか。
そのほかにも「足利6代将軍 義教は無類の上」「西行の正体はコンプレックスを華美な衣装で隠そうとする卑しい人間」「義経と弁慶は多重人格の生み出したふたつの像」などなど、まっとうな歴史学者からすれば卒倒するような「真説」が目白押しである。まさに、一読の価値あり、であろう。
なお後半のほうに竹島問題についての冷静な論考があるが、こちらはめいめいでぜひ、読んでみられたい。朝日新聞がいかにいい加減かどうかをあげつらうため、ではない。メディアとは何か、リテラシとは何か、それを再確認させてもらえるいい機会だからだ。
それにしても、経歴のわからない人だ。謎といえば、本人そのものが謎だ。いったいどんなオヤジなんだろうか。まさか、意表をついて女性とか、そういうオチじゃあるまいな。