なぜ子どもたちは、働かないのか、学ばないのか。
それに対し、これまでとは少し違った視点で回答を試みた本、と言うべきだろうか。
本書を手に取った理由は偶然である。
著者は知らないし、新書でもハードカバーでもないこの種の本は、往々にして内容がないために敬遠することが多いのだが、なかなか内容がありそうだったのでとりあえず買っておいた。
読後感を率直に述べれば、新書くらいの価値はあったかな?
(1,400円は高いわ~)
三浦展の「下流社会」を端に発する、こうした日本における階層化についての提言や問題提起は、いまやひとつのムーブメントとも言えるほど、盛んに行われている。わたしは個人的に、この階層という問題について、他人事ではいられない性質なので、ある種の執念をもってこの問題を眺めていた。
しかしながら、「ではいったいこの下流という現象は何なのか?」という問いに対して、論理的に回答することは結構難しい。
少なくともわたしのように、サラリーマンを主たる生業とする人間にとって、こうした問題を専門的に読み解くには時間と能力の、その両方が足りない。したがって、学者や専門家など、こうしたことの分析にその生活のほとんどを費やしているひとびとの分析や研究を「借りる」ことになるわけだが、どうしたわけかなかなか意味のある答え(?)は得られない。よくあるのが
「ニートなんて俺たちの若い頃にはいなかった。たるんでいるんだ」
「韓国には徴兵制があり、若者はしゃきっとしている。日本もああいう制度を取り入れるべきだ」
「かれらがああいう人生を選択したのは自己責任だ。ほっとけばいい」
というような意見である。どれもこれも、わたしにとっては考慮するに及ばない、どうでもいい意見だ。これらはすべて、その当事者が対症療法的に取る手法であっても、社会学的にこの問題を読み解く術ではないからだ。わたしが知りたいのは、これらの新しい階層がどのように発生し、どのように対処すべきなのか、その構造である。
本書は、そうしたわたしの疑問に対してそれなりの回答を与えてくれたように思う。
とくに興味深かったのが、第一章「学びからの逃走」で
『・・・子どもたちが教室で展開している「教師の言うことをきかない」、「授業に集中しない」、 「私語する、立ち歩く」といった「無秩序」に見える行動が、ある種の無意識的な統制を受けて「秩序づけられている」という逆説的事況の説明がつきます。
子どもたちは、「無秩序であること」をほとんど制度的に強いられているのです。「どのような命令にも従うな」という命令に全力を尽くして従っているのです。僕にはそんなふうに見えます。だって、もし子どもたちがほんとうに不注意で怠惰であるだけなら、「うっかり教師の話を最後まで聴いてしまった」ということがあっていいはずだからです・・・』
というくだり。(引用が長いのは、わたしの読み解く力、要約する力が不足しているためです。今後、精進します)
最近はこの手の本を読むことが少ないので、少々評価が甘くなっているような気がしないでもないが、それなりの知見は得られる。良書に分類してよいのではないか。とくに、これは提言というレベルで見たときにはなかなかの「取っ掛かり」になる本だと
思われる。2時間もあれば読める分量なので、教育関係者はとりあえず目を通しておくに如くはない。
しかし、アマゾンの書評のほうが的確な気がするな~
やっぱり、カンが鈍っているのかな?