瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを -2ページ目

瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを

どうでもいいことを、それっぽく文章に

これをひょんと言わなければ何をひょんと言うのか疑問を持たざるを得ないほど、ひょんなことから友人二人と富山に行くことになった。ちなみに行くことが決まったのは出発の二日前である。





お盆期間に中途半端に重なり、レンタカーがなかなか予約できなかったという都合から、立川に朝8時というこれまた中途半端な集合場所になる(立川の方申し訳ない)。レンタカーを借りるのにも10分程時間はかかるし、何より団体行動に遅刻は厳禁である。また、待ち合わせの前にタバコを吸っておきたいと言う個人的な都合もあったので、20分前には立川に到着する。



とりあえず到着した旨を幹事のUにメールすると、「俺も10分前には着くよ」という返信が来た。うむ、これでこそ幹事である。団体行動に遅刻は厳禁である。



立川駅の改札前で、からあげクンを頬張りながら突っ立っていると、遠くに僕以上に目の細いUが姿を現す。かれこれ半年ぶりの再開に二人のテンションがにわかに上がる。しかし、次の一言により、僕は絶句することになる。





「Tが20分遅刻だってメールがきた」







にじゅ…






渋滞を避けるために極力早く出ようと固く決意したのはつい2日前ではなかったか。まさかその決意を忘れた訳ではあるまい。団体行動に遅刻は厳禁である。





とにかく外で20分も待っていられないし、時間ももったいないので先にレンタカー屋さんで車を借りに行くことにする。とはいってもレンタカーは運転する人の免許証が必要になるので、これでこの旅の道中、Tは必然的に運転を免れることになる訳だ。癪である。




レンタカー屋さんで手続きを行っている最中、念のため、店員さんに聞いてみる。



僕「運転する人全員の免許証必要ですよね?」

店「あ、他にも運転される方がいらっしゃるんですね?」

僕「そうなんです。ただ、今そいつ遅刻しちゃってまして。」

店「そうしたらここにその方の名前を書いておいてください」

僕「じゃあそいつが到着したらもう一度免許証を見せに戻ってくるってことでいいんですね?」

店「いえ、大丈夫ですよ。」

僕「え、でもそれじゃ本人確認できないし、事故とか万が一のことがあったら保険がきかないんじゃ…」

店「大丈夫ですよ、私、遠藤様を信用してます。」

僕「いやいや、それはちょtt…」

店「遠藤様を信用してます」

僕「・・・・・・・」



僕の記憶が正しければ、「信用」という言葉はこんなに軽い言葉ではなかったはずだ。初めて会う、しかも5分前に会ったばかりの人に信用すると言われても、ますます黒いものを感じずにはいられない。







ま、普通に運転させましたがね。






手続きが一通り終わった頃、Tから電話が来る。





















「八王子駅で迷って中央線に乗れない…。どこから乗ればいいか分らない…。」



















団体行動に遅刻は厳禁である。







いたるところに危険は身を潜めている。少なくとも、一つの駅につき必ず一つはいる。駅によっちゃ北口に一つ、南口に一つといった具合に通り行く人々を悉く喰ってやろうと、逃げ場を失わせて貪欲にその口を広げて待ち構えている。




そう、奴らの名はスピード写真。




普段印象に残りなどしないのだが、奴らは必ず駅にいる(神奈川県内・筆者調べ)。今や公衆電話よりもその生息数を伸ばしているのではないだろうか。「あ、証明写真撮らなきゃ」と急に思い立っても駅に行けば大丈夫。頼みもしないのに、スピード写真は駅で人々を喰らわんと目を光らせているのだから。







その日、僕はパスポートの申請のために日本大通の駅を降りた。地下鉄の長いエスカレーターを上がり、改札を出たところで、申請書類に添付する写真の用意を失念していた。今回申請するそれは10年のつもりだったので、できればきちんとした写真を撮っておきたいような気もしたが、出発までそう時間が悠々とあるわけでもないので、仕方なしに駅のスピード写真を利用しようと思い立った。ふらりふらりと出口へ向い歩いていると、通路の突き当たりに奴はいた。




平日のビジネス街。スーツに身を包んだ人々が颯爽と歩く。その流れを遮るように柄シャツとビーサンの僕が立ち止まり、奴の体を観察する。料金は幾らだろうか・・・と確認している間にも、そこを行く人々の視線と声なき声が聞こえてくる。




「あ、こいつ証明写真撮るんだ」




ダメだ。恥ずかしい。しかも場所柄、きっと勘の良い人ならこう考える。





「あ、こいつパスポート用の証明写真撮るんだ」




ダメだ。もうパスポートなんて取りたくない。海外なんて行きたくない。

分かっている、そんなのは僕の自意識過剰なのだと。被害妄想なのだと。けれど、僕なら絶対そう考える。




「あ、こいつパスポート用の証明写真撮るんだ」と。




そんな見透かされ方は嫌だ。あの狭い空間で写真を撮る以外することないだろう。そんなの簡単に見透かされる。考えても見て欲しい。通り魔が襲ってきて、突然カーテンを開けられる。その時自分はキメ顔である。そんな恥辱があってたまるか。キメ顔のまま刺されてたまるか。ああ、スピード写真は嫌だ。




思えばこれは男子便所で個室に入るときの気恥ずかしさに似ている。女性には分からないかもしれないが、これが嫌でたまらない。うんこ以外することがないのだから。逆にうんこ以外で何かすることがあるとしたら、それはそれで問題である。




特に小学生の時分は、「からかわれる」という恐怖さえ伴うのだ。今なら何が悪いと開き直れもするが、小学生時代のうんこをするという行為は常に命がけである。うんこをしたことがバレでもしたら向こう1ヶ月は「うんこマン」と呼ばれることだろう。どうでもいいことだが、覚えている限り僕が小学生時代に校舎内でうんこをした記憶は2回しかない。それ以外は何が何でも家まで我慢を通した。




スピード写真と男子便所の共通点は、その個別性と秘匿性、そして目的の限定性という部分にこそあると思われる。しかしながらその目的の限定性故に、傍から見るものにその行為を容易に想像させてしまうのだ。そうすることで本来担保されるべき秘匿性が形骸化してしまう。そこに恥ずかしさを感じられずにはいられない。




耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで撮影を行う。最近のスピード写真も中々に進化しているようで、通常の撮影モードと美肌に写るモードとがあり、そこは迷わず美肌モードを選択。何がどう違うのかはよくわからないが、なんとなく肌が白く写っているような気がする。




ここでは美肌が大事なのではない。スピード写真から出てきた僕を見て、「あ、こいつパスポート用の証明写真撮ったんだ」と人は思っても、まさか「あ、こいつパスポート用の証明写真を美肌モードで撮ったんだ」とは誰も思うまい。そこが重要なのだ。してやったりだ。





その後パスポートセンターに向かい、申請を行う。最後に本人確認ということで書類と写真、運転免許書などがチェックされる。スピード写真で撮った証明写真が、うまく切れていなかったようで受付の淑女に切っていただく。切り終わって写真を添付しようとしたその時、受付の淑女が申し訳なさそうに言う。





『あの、この写真、妙に白く写ってますけど、このままでよろしいですか?一応向こう10年間使うものなので・・・』





受付の淑女はこう思っただろう。
















「あ、こいつパスポート用の証明写真を美肌モードで撮ったんだ」













もう5年も前になる。一度地元平塚の七夕祭りのことをブログに書いたことがある。その時にも記したが、そもそも平塚の七夕祭りは、太平洋戦争で焼け野原になった平塚の復興を願い、商店が中心となって始まったものだ。



平塚に居を構える人であれば、人生で一度は出向いたことがあるだろう。市内に一つしかない駅の周辺で行うのだから、否が応でもその風景は目に入るはずだ。特に子どもの頃は七夕が近づくと妙にうきうきした。煌びやかな飾りの下、普段は財布の紐を固く絞った両親もこの日ばかりは子どもの望むままに露店から露店へはしごする。年に一度、会えるのは何も彦星と織姫だけではない。家族と、友人と、恋人と。その時間を共有する相手は人それぞれであろうけれど、その時間が平塚の街を歩く人々にとって大切なものになって欲しいと思う。



しかし数日間の夢の終わりは、いつも大量のゴミと異臭という悪夢を伴って訪れる。平塚に住む人々にとって、何もいいことばかりではない。開催中は一時的に普段の数倍治安も悪くなれば、駅前が混み合うことにより交通機関、特にバスなどは15分程度の遅延なんて当たり前の状態になる。夢を見る代償として、多くの人が見合わないと思うのも無理のない話しだ。



大震災の影響で、今年の七夕祭りはその開催が危ぶまれた。様々な議論が行われたのは想像に難くない。自粛・節電、歴史・期待。一度は中止の決定がなされた後も、やはり開催を、との声は根強かった。結果的には期間と時間の短縮、規模の縮小、電飾の点灯は行わないなどの条件で開催されることになった。



反対意見の中には、先に述べた意見もあれば、そもそもこの七夕祭りが平塚にとって有益なものではないとの根本的な意見もあったようだ。地方からの的屋中心の屋台。地元の商店の努力不足もあろうが、平塚の収益に繋がらないイベント構造。そして何より平塚市が主催となるため、平塚市民の納めた税金が使われる。細かい額は失念したが、決して小さくない額である。今回はその予算を防災面へ充当するのが妥当だとの意見が多数あったようだ。



平塚市の七夕祭り、そして平塚自体も大きな転換期を迎えたような気がする。市民が求めるものをどれだけ市は理解しているのだろう。人口の減少や高齢化、経済問題、駅前の衰退など、七夕祭りのあり方をめぐる議論は市のあり方を示す縮図のように思える。



七夕祭りの願いの火は決して絶やしてはいけない、と僕は考える。子ども頃見た煌びやかな夜を、束の間の夢だとしてもそれを後世に伝える必要があると思うのだ。それと同時に、七夕祭りの存在意義をその時々で改めて問い直す必要があるだろう。



今日から平塚の七夕祭りが始まる。期間は3日、時間は夜7時までと時間は短縮されている。電気のつかない、夕暮れの明かりの中で見上げる七夕飾りというのもなかなか趣深い。残念ながら仕事なので今年も七夕祭りには行くことができないが、美しい七夕を思い描きながら、笹の葉に日本の安寧を願いたい。




この日の宿は五能線沿いにある「ウェスパ椿山」で下車したところにある。



尚、ウェスパ椿山とは、まるでバブルの遺産のようなテーマパークで、ドイツ風?のレンガ造りの洋館一棟一棟が宿泊施設になっている。今でももちろん営業はしているそうだが、着いた時期と時間が良くなかったのか、駅前は人っ子一人いないゴーストタウンであった。ふと山のてっぺんを見上げると、さながら大船観音のような風力発電の風車が聳え立つのみだった。



宿に辿りつき、チェックインを済ます。とここで、第2の鈴木さん(前々回の日記参照)を探そうと試みるが、チェックインを担当してくれた女性は、なんというかこう…腐女子臭のする眼鏡っ娘であった。その腐女子に引率され部屋に入る。



その部屋はオーシャンビューになっており、部屋から電車からは見ることのできなかった夕日を眺めることができた。




瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを



ここの宿の売りは海岸ぎりぎりの場所に造られた露店風呂である。温泉に肩まで浸かると、まるで海に浸かっているような感覚になるほど海に近く面しているそうだ。また、連れが旅の途中に仕入れた情報によると、その露天風呂は混浴なのだと言う。



いやいや、さすがに混浴とは言え、どうせいるのはオババばかりだろうて。もはや重力に抗うことのできなくなった女体に何の魅力があろうか。いや、だが待て。若い女子が一糸纏わぬ姿で目の前に現れ、同じ湯船に浸かる可能性もゼロではない訳だ。万が一、そんなことがあるようなら、今回の旅の最高の思い出になるに違いないのだ。



この露天風呂は日没までしか開いていないので、ご飯は後にしてもらい、さっそく意気揚々と露天風呂に向かう。内風呂でさっさと洗うところだけ洗って、30メートル程の外通路を歩く。野趣溢れる囲いに覆われた神秘の湯がもう目前に迫っている。






混浴






こんなにも心躍らせる言葉があるだろうか。もはや映像の中でしか存在しない、前近代的な過去の遺物とさえ思っていた。それが今、目の前にあり、その神秘のヴェールを剥ごうとしているのだ。




囲いの前に着き、「混浴」と書かれた矢印に従い、左の通路に歩を進める。しかし、ここでひとつおかしなことに気付く。混浴と正反対の方向を示す矢印があり、そこにはこう書かれていた。



















「女湯」
























馬鹿な。



確かに嘘はついちゃいない。混浴は確かに存在するのだから。しかし、だがしかし、だ。そりゃ女湯とあれば女性はそっちに向かうに決まっておろうが。わざわざ女湯があるのに混浴に入る痴女がそんじょそこらに溢れているとでも言うのか。仮に好き好んで混浴に入る女子がいても、それじゃダメなのだ。ちょっと恥じらいながら、必死でタオルで体を隠して入っているのがいいのではないか。已む無く、混浴に入らなければいけない、そんなシチュエーションがいいんじゃないか!!もう台無しである。僕らの期待した時間を返してほしい。



まぁ、もちろんのこと、混浴には男しかおらず、オババさえいなかった。もうこの際オババくらいいてくれた方がまだ笑い話にもなったものだが、きっと見たら見たで後悔するのであろう。



混浴と言う名の男湯に浸かり、しょっぱい思いをしながら眺めた日本海の夕日は、ちょっぴり心に沁みた。



ああ、混浴よ…。





風呂上りに、また第2の鈴木さんをあちこちで探すが、どうも不思議なことにこの宿にはどの子をとってみても腐女子しかいなかった。みんな、おさげに黒眼鏡だ。




そんなこんなで、椿山の夜は更けていったのである。


平泉での熱い夜を過ごしたのち、いよいよ第2の目的地(?)である五能線の起点、東能代を目指す。



尚、平泉は岩手県でも南部に位置し、対する東能代は秋田県の北部に位置する。東北の主要路線は南北に流れており、日本の背骨たる山脈を超えるための鉄道網はそうそう発達はしていない。そのため、今回の旅ではこの山脈越えに一番の時間が割かれている。



平泉の一駅隣の一ノ関駅から鈍行列車に揺られ、ひとまずは盛岡に向かう。確か記憶の限りで、10時くらいに一ノ関を発ち、12時に盛岡に着く。そこで大館という駅に行くために、いわて銀河鉄道というものに乗り換えるのだが、ここでまさかの電車45分待ち。



仕方なく、というのもあったのだが、逆にここで昼ご飯を食べなければ次にゆっくり時間を取れるのは宿の最寄り駅となり、もはや夕飯の時間である。そして盛岡、といえば冷麺と来たもので。



しかしながら、僕個人は盛岡冷麺と言うものに些か懐疑的であった。何せ冷麺である。どこで食ったって同じだろうとタカをくくっていたのである。とは言え他に目ぼしい名物も考え付かず(盛岡の方すみません)、またそうそうゆっくりしている時間もなかったので、目に入った焼き肉屋さんに入り、冷麺を注文する。



するとどうだろうか。今まで食した冷麺の中で、ずば抜けてうまいではないか。誰だ、どこでも一緒だとぬかしたうつけ者は。はっきり言って未だ以て冷麺のおいしさの違いが何によって決まるのかは分らないが、今回盛岡で食べた冷麺が、韓国で食べたそれよりもダントツに美味かったのだけは断言できる。



さて、駆け足で昼飯を胃袋に詰め込んだところで、いわて銀河鉄道に乗車する。ちなみに、乗り換えをする大館まで乗車券が2000円程かかるのが痛いところである。まぁ、それに2時間程揺られるのだからその金額も妥当なのか。



このいわて銀河鉄道はひたすら内陸を突き進む鉄道であり、見える風景はこれまた田園と山々のみである。最初こそ、日本の原風景をわくわくしながら眺めていたのだけれど、それも20分もすると段々と飽きてくるものだから人間とは我儘な生き物である。



田んぼと山を見続けた果てに、大館へ到着する。そして今度はまた東能代行きの電車に乗り換えるのだが、乗り換え時間が5分。それを逃すと1時間近く次の電車まで待たなければならないので、大都会の通勤並みに猛ダッシュでホームを駆けあがらなければならない。まぁ、それは合間に小用を済まして尚且つタバコを吸うためなのだが。



大館から東能代に向かい、そしてそこでようやく目的の五能線に乗り換えを行う。五能線は日本海を眺めることのできる海岸線ぎりぎりを進む鉄道であり、連れ曰く鉄ちゃん垂涎ものなんだそうだ。



乗り始めて20分もすると、車窓には日本海の海岸線が姿を現す。




瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを



瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを



瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを


なんとなく、江ノ電と似たような風景を望むことができる。

ちなみに、車内はこんな感じ。



瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを



瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを



ゆったりと、弓なりに続く線路を進む。時間が下るにつれて太陽もその高度を下げ、次第にあたりを西日が包む。電車に乗っている間にしっかりとした夕日(そういうものがあるのだとしたら)を拝むことはできなかったけれど、一日の終わりを迎える五能線沿いに住むであろう人々の営みを垣間見た。何の変哲もない日々を僕らが送るのと同じように、それ以上にゆっくりとした速度で、日々が暮れてゆく。それが人にとっての幸せなのだとしたら、そこは限りなく桃源郷に近い場所であるように思えた。