レーシック手術~後篇~ | ネパールの手帖

ネパールの手帖

平成22年6月から2年間、ネパールでソーシャルワーカーをしてきました。「ネパール日和」から「東京日和」へ。東京の空の下、ネパールで感じたことを思い出して記していきます。

手術後の休憩を20分終えると、同じように休憩を終えた8人くらいの患者さんと一緒に点眼薬の説明を受ける。

手術も痛くなかったけど、
術後も特に痛くもなく、すっかりクリアに見える世界に感動して、
点眼薬の説明は上の空。



皆同じなのか、かなり詳しい説明書が添付されていました。


すっかりクリアな世界をみると、



あんな手術たいしたことない!



「では、あとはご自由にお帰りいただいて結構ですよ」



疲労困憊なのは私ぐらいなもんで、外の患者さんは、

「手術もあっさりしたもんでしたね」

なんて言っていて、

いかに、私が大袈裟で、へっぴり腰な人なのか、
ちょっと恥ずかしくなる。

会計も手術前に終わっているので、手術後30分位で帰宅。


ホコリよけのメガネをかけて、颯爽と。


予定では

「手術後はご褒美にあんみつを食べて帰ろう」

と決めていた。


ご褒美のために生きている私としては絶好のご褒美日和であるので。



しかし、どうも涙が止まらないので、おとなしく帰宅することに。


帰り道の有楽町線の中、徐々に痛くなってくる目。


電車の中で目薬するのも怖い、家までガマンガマン。


最寄り駅に着くと、もうどうにもガマンできず、目も開かない。


痛み止めが切れてきた…


タクシーに、はうように乗り、なんとなく家までの道を伝える。


「坂の下のT字路で止まって下さい。」


そんな時に限って、自宅には誰も居らず…


おそらく1,000円札であろう紙幣で支払い、


ここが家の前だかどうだかは、イチョウの木から落ちる銀杏の匂いで確認。

間違いない。


銀杏に気をつけながら、手探りで鍵を開け、

「おかえり~」

と愛くるしくニャーニャー鳴く猫を、今日ばかりは蹴飛ばし、


痛み止めの目薬を探す。

説明書を探すも、目が開かずに見えない。

あ゛ーーー、
なんとか探り当てた痛み止め目薬。




一滴。

スパーーーーー



この一滴で嘘のようにサーーっと、痛みは消え、またクリアな世界に。


しかし、痛み止め目薬は一時間に一回までしかできない。


痛みのピーク術後5~6時間。


寝てはいけない。
テレビだめ。
読書、パソコンだめ。


痛み止めが切れるであろう30分後に備えて、
痛みがない間に夕食を作り、音楽の用意。


また、痛くなり、30分間
「痛いよ~」
と泣き、
痛み止めで、また幸せいっぱいになり…

躁鬱(そううつ)みたいな時間が4時間たった頃、


あれ?まったく痛くならない。


そんな頃、帰ってきた家族は、

「さっきの大騒ぎの電話はなんだったの?」

とびっくり。


その後も、全く痛みはなく、違和感もなく、


ただ裸眼1.5の世界が広がっているのみ。


翌日検診も問題なく、

「私、けっこう動いちゃったんですが、大丈夫だったんでしょうか?」

と心配するも、

「術後も綺麗で視力も回復しているし、問題ないです」

とのこと。

「そんなに心配ですか?大丈夫なんですよ。レーシックは安全ですから。」


そっかぁ。


医学ってすごいなぁ。高校生の頃の私に教えてあげたい。


あの大騒ぎ手術も怖かっただけで痛くはなかったし。


見えなかった日々か嘘のように、目覚めた時から見える生活。

メガネメガネ…

コンタクトコンタクト…

の時間が減ったからか、朝も少し時間が出来たように感じ、

思い切ってよかったわ。


これで、地震災害があっても家族が探せるわ。

ヒマラヤからの夕日がしっかり見られるわ。




大騒ぎが嘘みたいな日常。


見えるって素晴らしい。