現代人と原始人、体の構造は変わっていない。

しかし、環境は大きく変わった。


原始人は常に死と隣り合わせだったろう。

常に緊張感は持っていたはず。


ところが現代はかなり安心安全な

環境になった。


有難い事ではあるけど、

これが災いをもたらしている。


緊張感の無い人が増えた。


やはり、適度な緊張感は

持っていないと堕落するよ。


己をある程度律する事が

大切だと思う。


さもなくば、最後は寝たきりに

なるかもしれない。


俗世間の流れに沿わず、

自分の世界を構築しないとね。

平坦な道を歩いていても、

そんなに筋力は使わない。


山道を歩くと、かなり鍛えられる。


ましてや、車ばかり乗っていたら、

筋肉はドンドン落ちていく。


人生、少し坂道を登るくらいが

鍛えられて良いのかも。


人間は楽な方に流される。


その楽に流されっぱなしだと、

ドンドン生物として弱くなる。


人生、多少は辛いくらいで

中庸になる。


辛すぎるのはダメだ。


程よい辛さをキープする。


そう思うわ。

車で走っていると、かなり高齢者で

旗振りしている人がいる。


シルバー人材で、

道路脇の草刈りしている人も

割とご年配の方々。


働けるうちは働いていた方が

私は良いと思っている。


お金がまあまああったとしても、

暇を弄んでいるよりは、

働いた方が暇つぶしにもなる。


そして、


人間は動物なのだから。


体を動かして働くことが

宿命なんだろうと思う。

整体やリハビリの仕事をしていると、

色んな体質の人に遭遇する。


状態が悪いとかより、

体性感覚の鈍い人は極めて

やり辛い。


どこを触っても、気持ちよさも

感じない、痛みも感じないって

人がいる。


HSPの私はかなりセンサーが

敏感なので、かなり反応は

分かる方なのだが、

全く反応を感じない。


まるで、無機物を触っているというか

精氣を感じないというのか、

そういう体質がある。


反応が無いばかりではなく、

体の声も聞こえない。


私は体の訴えに従って

施術するだけなのだけど、

それが聞かないと

やりようが無い。


まあ、そういう人って、

感動もしないんだよね。


心から歓喜したり、

感謝した事も無いんだろう。


要するに神に全く通じてない

人なんだろう。


週に数回、高齢者のリハビリの

仕事をしている。


集団体操時に必ず指導する

事がある。


それは。。。


頑張り過ぎず、怠け過ぎず。

適度な運動をしましょうって、

よく言いますけど、

どれくらいが適度な運動なのか?


分からないものですよね。


中庸を生きるって難しい。


何かにつけて腹6分〜8分

程度にするって難しいんだよ。


バランス感覚が大事だ。


少しずつバランス感覚が

よくなれば有難い。

昨日は、施術で久しぶりに、

ヒーリングを使った。


他の人のヒーリングが

どんなものかは知らないけど、


私のヒーリングの仕方は、

相手の中心と捉えて、

共鳴させる

中心力ヒーリングだ。


相手の中心を捉える独特の

感覚がある。


多分、HSPの人なら

即時にその感覚を把握するだろう。


後は中心力の強さだ。


これは日頃の丹田を練ることで、

強くなる。


中心力とは生命そのもの。


宇宙の無限エネルギーを

取り込む。


宇宙の無限のエネルギーとは、

すなわち、神の愛である。


神の愛無くして人間は

生きる事はできない。

お金もそこそこあって、

便利で快適な生活に慣れすぎると、

ダメだな。


ちょっとした不快にさえ、

耐えられなく成る。


そういう堕落した人間をよく見る。


少しくらいストイックにしてた

方が良いよと言いたくもなる。


どんな金持ちでも最後は老化する。

便利で快適な生活に甘んじて

いれば、どんどん体が鈍る。

老化を促進させてしまう。


楽な道は地獄に誘われる。

少々は試練を自分に与えないと。

無念無想の時の自分がいる。

逆に強欲な時の自分がいる。


この相矛盾する2人の自分が

共存している。


こういう発想は昔は無かった。


何事も陰陽なんだよなぁ。


他には

思いやりのある自分と

サイコパスな自分も

共存していた方が良い。


必要に応じて、

その時々で変幻自在に

成る方が良い。


自分を使い分けるって事。


年の功で、できる様になるもんだ。


そして、その相矛盾する

二極が共存する事に

抵抗感が無い。


まあ人間なんて、

マイルドな多重人格だから。


その時々で色んな色に

変えれる。


そして、その本体は

色即是空空即是色という事に

なる。

現代は便利さと快適さを追求している時代だと言えよう。


しかし、ここに落とし穴がある。


便利で快適な生活は、最初のうちは有り難く感じる。ところが、その有り難みは徐々に薄れて、そのうち当たり前になってしまう。


そうなると、些細な不快に敏感に反応してしまう様になる。


私は時代に逆行するようだが、多少の不快に耐える事を自ら進んでやっている。


多少の不快に耐える訓練をしておくと、細やかな便利さや快適さが無上の喜びと感謝になりやすいからだ。


程度にもよるが、多少の苦難の道を選択した方が結果的には中庸になる。


便利さと快適さを追求して、楽の道を選択すれば最後に地獄が待っている。


苦労は買ってでもせよ。


この言葉は正しいなぁと思うばかりだ。


まあ他人に忠告しても、聞く耳がある人は稀有だよなぁ。苦難の道を選択する人は少ない。

何が自分にとっての幸福か?

その形は人それぞれ違う。


生ぬるい幸福は好きじゃ無いなぁ。

みんなでワイワイガヤガヤとかは

あまり好きじゃ無い。


子供の頃から、

これは何故こうなるんだろう?

って問題意識が強かった。


私にとって、

人生とは謎解きの旅。


双極性障害という難問を

解き明かすのは30年以上

かかった。


しかし、今はその難問中の

難問を解き明かし、

解放された。


苦心に苦心をして

やり遂げる経験は

大いなる自信へとつながる。


難問を解き明かした事の無い

人というのは、言葉が軽い。


重い荷物を背負って

歩いた事が無い人には

一切足跡は残らない。


やはり、苦労は買ってでもせよ

って事になるよなぁ。