人生はほんと暇つぶしだと思う。


若い時は何とかしなければと必死に

なったものだけど、必死になるほどの

気力も体力も無い。


老年ではまだ無いけども、

老後の人生を歩んでいるようだ。


天地自然に身を委ねて風の様に

生きていくだけ。


そして、


寿命が来たら、あの世に行く。

なんてシンプルなのだろう。


社会に汚染されたものが浄化されると、

極々シンプルになる。


地球に生息する生物でしか無いからね。

毎日、どこかで誰かが死に、誰かが生まれてくる。

凄く当たり前のことではあるけど、


身近な人が亡くなると、

自分も亡くなる日が来る事を実感する。


昔は自分も死ぬということに悩み苦しみ、

死んだらどうなるのか?を色々と考えたものだった。


死んだら無になるのか?

死後の世界があるのか?

無とは何なのか?


とにかくよく考えた。


今はもう死ぬ事は自然の理であり、

当然のこととして受け入れている。

死に対する恐怖はほぼ無くなった。


むしろ、死という終わりがある事い

安堵感さえある。


それだけ苦労をして来たってことだろう。


若い時は苦労は買ってでもせよと言うが、

これは死の恐怖を拭い去ってくれる様に

なるからかもしれない。


人生のどん底も知らずに生きて来た人は、

死は恐怖のままかもしれない。

他人に認められたい。

他人に愛されたい。

他人から尊敬されたい。


しかし、認めてもらえない。

不当に評価されている。


誰も愛してくれない。

誰も尊重してくれない。


承認欲求って厄介なものだよなぁ。

この承認欲求を手放す事ができれば、

かなり気楽になる。


私はこう考えている。

今ここに生きていられるという事は、

神様に承認されているのだから、

それで良いのではないかと。


太陽の光、空気、水など

生きていく為に必要なものは

与えてくださるのだから、

それで良いんじゃないの。


天地自然の恵みに感謝すれば

良いんじゃないの。


そう思うなぁ。


人間は必ずと言って良いほど、

認知の歪みを持っているのだから、

色眼鏡をかけて判断されても

何の当てにもならない。


私もまた他人を色眼鏡で見ているの

だろうから、正当な評価はしていないだろう。

それも当てにならない。


あの人ってどう思う?

うーん、分からない。

どんな生い立ちなのかもしれないし、

また、どんな生い立ちかを知っていたとしても、

どんな心境なのかは正確には分からない。


分からないことは分からないという

グレーゾーンて良いと思う。

昔は他人と分かり合えるものだと信じていた。

しかし、この前提が自分を苦しめていたのだと

今は思う。


異なる境遇を生きてきて、

知識も経験も異なるのに分かり合えるなんて

事は不可能だろう。


世間話程度なら、適当に合わせておけば

良いがディープな話になると、

分かり合えるなんて事はない。


分かり合えないという事を前提にしておくと、

かえって気楽で良い。


自分にしか分からない事は、

自分と神との対話と思えば良い。

誰かに批判されたり注意されたとする。

その時に、もし腹が立ったのなら、


その人を見下していたからかもしれない。


見下していた人から批判や注意をされたら、

腹が立つもの。


明らかに自分より秀でた人から

何か言われても恐らく腹は立たないだろうし。


他人に対して腹が立つのは、

その根底にその人を自分より格下であると

みなしていたからなんだろう。


何で、お前ごときの人間には、

注意されなきゃいけないんだ?って。


フト思った。

憶測をする事が激減した。


こうなんじゃないか?

あーなんじゃないか?


きっと、こーだよ。


こういうのをしなくなった。

したとしても、分からないけどと付け足す。


本当は蓋を開けなければ分からない。


分からないことは分からないままでいいんじゃないか?


そう思う様になった。


白黒はっきりさせたい性格だったけど変わった。

白黒ハッキリさせずにグレーゾーンで良いのだと。


自分の人生さえ今後どうなるのかも分からない。いつ死ぬのかも分からない。どれだけ考えても分かるはずも無い。


最近は思考停止状態が増えた。

瞑想状態でいる様な感じ。

自分の取りに足りない知識や経験を物差しとして、他人や世界を評価してしまう。


これが苦しみを作り出してしまう。


あーそういう事なのだなぁと改めて気付かされた。


考えれば、他人がどういう境遇でそういう人格になったかなんて全くと良いほどしらないのにね。


ましてや、世界の成り立ちなんて逆立ちをしたって分からない。


自分の物差しで他人や世界を評価することがどれだけ浅はかで愚かな事なのか?分かるはずもない。


相手を尊重する。

相手の事は分からないのだから、距離を保って礼節を守る。それで良いのだと思う。


それよりも、自分一人で楽しめる趣味や何かをたくさん持っていた方が良い。


昔、リハビリの仕事をしていた時に聡明なおばあさんに出会った。80歳を超えるけど、色んな人がいると驚くと言っていた。この年になっても人間に慣れないねぇと語っていた。


まあそんなもんだよね。

こうしなければならない。

こうすべきだ。


こうやって、限定してしまうと、

選択肢が無くなるよなぁ。


こうしなければならない事だけが正しく、

それ以外は間違いであるという認識に

なってしまう。


こうしなければならないを

こうした方が良いかもしれないが、

他にも何かあるかもしれないと

限定しない方が良い。


現実はどう変化するかは分からないから。


諸行無常だから。


こうしなければならないと決めつけてしまうと良くないよなぁ。

幸福感って良い。

少し高揚感があって。


しかし、最近は静寂が良い。


森の中に静かに佇む湖の様な静寂。

そこには幸福は無いけど。


静寂に包まれているだけで良い。


こういう心境も年の功なのだろうか。


若い時から、ただ孤独で寂しいものとしか

ならないだろうけど。


体力が少しずつ衰える年齢になって

味わえる境地なのだろうか。

ハッと気づいた。


そう言えば不平不満を口にしなくなったなぁ。

昔は、本で読んで不平不満は言ってはいけないとあり、努力したけど不平不満が出てしまっていた。


それが気がつけば言っていない。


まあ不平不満なんて言っても何も変わらないしね。言うだけ無駄だし。それに仕方が無い。


何で、あの人はあーなんだ?

何でこんな仕事をしなくちゃならないんだ?


仕方ない。そういう流れだから。


不平不満って現状に対して、何とかして抗いたいから、口に出るのだけど、現状は変わらないのだから。そういう流れになっているのだから。


この人生も輪廻転生の中のワンシーンだからなぁ。物凄く長い目で見る様になったという事なのかもしれない。


あるいは、今まで気になっていた事に対して気にならなくなったのかもしれない。


森羅万象諸行無常だし。宇宙という大いなる変化の中にいるだけだからね。