他人と自分では認識している現実がかなり違う事を50過ぎてから、ようやく分かる様になった。


自分が三角に見えるものが四角に見えているくらい違う場合もある。


そらそうだよなぁ。


HSPの私とそうで無い人では大きな違いがあるもの。


パワーストーンを持たせると一番分かりやすい。


かといって、HSPでも感覚の差はかなりある。


私も年の功で、ありのままの自分と社会的自分を多少は使い分けができる様になった。


要するに正直ものは馬鹿を見るのである。


誰に対しても馬鹿正直にしてはいけない。


分かり合える事がない人には、

その様に対応するか、

あるいは距離を取るしか無い。


逆に分かり合えると思う人でも、

完全に信用してはいけない。


必ず差はあるから。


これが親しき仲にも礼儀あり

という事だろう。


自分の認識の仕方や感覚は

誰も分からないから。


そういった意味では、

人間はみんな孤独だろう。

今日は仕事が入って無いので、

暇つぶしにマッサージを

してもらいに行った。


正直、下手だった。


おいおい、もっとフワッと

してくれよと思ったよ。


マッサージでコリをほぐすというのは

間違っている。


解剖生理学の勉強を少しすれば

分かる事だ。


そういう知識も無いまま、

凝っている筋肉をほぐせば良いと

安易にやっている人が多いだろう。


特に田舎はそうだと思う。


私も見た目はマッサージみたいな

事もする。


しかし、筋肉のコリをほぐそうと

はしていない。


神経に刺激を入れるんだ。

神経に刺激を入れる事で、

脳に情報を送り込む。


この場合、どこを触るかが

大事になってくる。


私の場合は響きが出る場所を

触る。


あるいはクライアントのオーラが

光り浄化される場所を触る。


一見、マッサージの様な手技でも

中身は違う。


浄化しているのだから。


これは、マッサージであろうと、

ヒーリングであろうと、

手かざしであろうと原理は同じ

となる。


この感覚を持てるかどうかが

大きな違いになるだろう。


私はHSPだから、

その特性を活かして手技を

するが、HSPじゃ無い人は

どうなんだろうね?




ずっと前から床下に炭を敷き詰めて
みたかった。

その願いがようやく叶った。

部屋で声が反響する様になった。

そして、波動が上がった。
体が微弱にビリビリする。

HSPだから感じるんだ。

普通の人には分からない
だろうけどね。

何となく部屋がキラキラ
している。

不思議な感覚。

私はよく

天地自然に生かされている事に感謝

と書く。


最近、ハッと気づいた。


生存本能に生かされているのだと。


脳は、

色んな理屈をこねて、

色んな言い訳をする。


しかし、生存本能には抗えない。


ただ、ひたすら生き延びる為に

行動を起こす。


自我では無い。

生存本能がそうさせるのだと。


結局、天地自然に生かされている

とは、生存本能に生かされている

事を美しく飾ったに過ぎない。


我々人間も地球に生息する

生物でしか無い。

あるいは動物でしか無い。


生まれ、食べ物を食べ、

子孫を残し、死んでいく。


他の動植物と変わらない。


現代ではお金をたくさん稼ぐ男が

モテる。


原始時代なら、

獲物を狩る能力が高いオスが

モテるんだ。


そういう事なんだよなぁ。

多くの人が幸福な人生でありたいと思うだろう。お金に苦労する事なく、円満な人間関係を築き、心身ともに健康で充実した人生を歩みたい。


ところが現実はそうも行かない。私の知る範囲で絵に描いた様な幸福な人生を歩んでいる人は一人もいない。


大なり小なり波乱万丈の人生を歩んでおられる人ばかりである。


何一つ問題を抱えずに幸福に生きている人なんて脳の中の幻想でしかない。


しかし、私は問題だらけの波瀾万丈な人生を肯定的に受け止めている。要するに暇つぶしになるからね。


学校の勉強でさえ、簡単な問題ばかり解いていたら、嫌になるし飽きてくる。徐々に難しい問題にチャレンジした方が面白い。


そして、難しい問題が解けた時の喜びは途轍もない快感である。


人生、問題だらけの方が良い暇つぶしになる。何の問題もない人生なんて暇で暇で仕方がない。一難去ってまた一難くらいで丁度いいんだよ。

最近、ウォーキングの際に、

大腰筋にかなり負荷がかかる様に

なった。


これが良い事が悪い事かは、

分からないが、

とにかく負荷がかかる。


反対に腕や足の負荷は軽減

している。


肥田春充は、

中心力10、部分力9の割合が

大切だと言った。


中心力が常に部分力より

優っていれば過激の害は

無いと。


であるならば、

歩く動作も中心力10.部分力9で

無ければならないはず。


ひょっとして、そういうことかと

思った。


しかし、歩く動作で

こんなに大腰筋に負荷が

かかった事は過去に無かった。


という事はそれだけ

中心力がまだまだ弱いという

事になる。😰


肥田春充の中心力は

どれだけ強かったのだろう。

想像しただけでも凄まじい。


何せ、足を踏みつけると、

道場の板が足の形に踏み抜け、

更に根太までへし折れたのだから。


ただ、時代背景が違いすぎる。


肥田春充の様な怪力は、

あの緊迫した戦時中ならではの

ものだと思う。


生きるか死ぬかの瀬戸際で、

極められたものだから。

そんな怪力は、

この現代日本では必要ない。


まあボチボチマイペースで

行くしか無い。

本を出版するにあたり、数ヶ月間

書き綴った。


取り敢えず、最終章まで

書き上げて、只今、最終チェックを

している。


うわっ!💦こんな事を書いていたんだ

と、恥ずかしくもなる。


書き始めた頃の自分と

今の自分の心境はかなり

違うから、おかしく感じるんだ

ろうなぁ。


私は日々変化していく。

気づきもドンドン増えて変わる。


過去の自分より今の自分の方が

成長しているから。


文面をガラッと変えている箇所も

ある。


中学生の頃、絵を描くと

何回も何回も塗り直した。

それと、よく似ている。


こんな事してたら終わらないなぁ。


大変だ。💦

朝からチラッとテレビを見ていた。


71歳の方が車で人を何人かはねて、

死亡させた。


介護施設で働いていた元職員が

二人の入居者を殺害した。


朝からショッキングなニュースを見た。

こんなニュースばかりメディアは

流すよ。


俗世間なんてものはこんなものだ。

みんながみんなそれぞれに欲望や

不平不満を募らせて生きている。


正直、無視で良いと思うわ。

100年後も1,000後も形は

違えど同じような事をやってる

だろう。


だから俗世間って言うんだ。


俗世間がどんなになろうと、

自分は一歩一歩、自分の道を

歩くだけ。


山を越え谷を渡り、

雨にも負けず風にも負けず、

前進するだけ。


他人の事はどうでも良いとは

言わないが、どうにもならないのが

事実だから。


唯一どうにかなるのは

自分だけだから。


我一人、神と共に歩む。

こうなるんだよ。

今日も歩く練習をしていた。


歩く練習?歩けるのに?

いやいや、歩くのって実は

滅茶苦茶難しい。


完全な歩法を獲得している人は

ほとんどいないと思う。


私も全然ダメだと思っている。


今日は「あっ❣️」という気づきが

あった。


丹田を中心にして歩く感覚が

強かった。


空間の一点に丹田が固定される

と言えば良いのか。


中心軸ではダメなんだ。


無形の一点にならないと

いけない。


円の中心は無形の一点だ。


それを感じる事ができないと

いけない。