これは落書き。
この58歳までは、自分を知る旅を
し続けて来た。
そして、ようやく本当の自分に
なれた。
人生これからが本番だ。
で、何をしたいか?
それはもう日本全国を
一人旅がしたい。
独身だし自由人だからなぁ。
できるだけ多くの神社と寺を
訪れたいなぁ。
そして、人生の幕を閉じれれば、
感無量だ。
俳句を作ったり、
絵を描いたりしながら。
腰痛の人に出会ったら整体をして。
夢は無限に広がるよ。
これは落書き。
この58歳までは、自分を知る旅を
し続けて来た。
そして、ようやく本当の自分に
なれた。
人生これからが本番だ。
で、何をしたいか?
それはもう日本全国を
一人旅がしたい。
独身だし自由人だからなぁ。
できるだけ多くの神社と寺を
訪れたいなぁ。
そして、人生の幕を閉じれれば、
感無量だ。
俳句を作ったり、
絵を描いたりしながら。
腰痛の人に出会ったら整体をして。
夢は無限に広がるよ。
他人を見て不幸だなぁと思う事が
無くなった。
試練が大きいんだなぁ。
そう思うだけ。
現世は霊魂の修行の場。
試練があって当たり前だ。
神、あるいは仏になる為の
修行をしているのだからなぁ。
生前に成仏できたら幸いだな。
遺伝子などうのこうのと言うが、
その遺伝子さえ原子の塊だ。
我々の肉体は、あくまでも原子で
構成されているだけだ。
天才も凡人もどれだけ脳を調べても、
そんなに大差は無い。
じゃあ、何が違う?
それは、霊魂の質としか
考えられない。
霊魂の質が高ければ高いほど、
潜在能力が使えるんだ。
霊魂が獣に近ければ、
犯罪を犯すということになる。
霊魂が神に近ければ徳が高い。
私の様なオールドソウルは自然と
健康管理をするし、
丹田に注目する。
丹田を開発しかければ、
どんなに良いものを食べても、
身にすることはできない。
私は肥田式強健術をしている。
前世でも鍛錬していたから、
要領は心得ている。
しかし、練丹の仕方は色々あるから、
何でもやってみると良い。
何百回、何千回と輪廻転生を繰り返して、
丹田を練り上げて来た事は、
霊魂が記憶している。
ただ、現世においても霊魂が
経験した事が出てくるだけだから。
オールドソウルの役目はお手本を
見せる事だから。
日々、私の体は若返りつつある。
私はもうすでに数万年は生きて来た
感覚がある。
古代から私はいた。。。
世間話はしない。
そこに何の価値も感じない。
周囲の人たちがみんな幼い子供に
見えてしまう。
私は菩提樹だもんなぁ。
話が合わないよ。
元々、金運が良かったけど、
ここに来て宇宙銀行が
開いた。
私の夢である将来性のある
スターシードに資金を
提供できる様になりそう。
私は贅沢は罪穢れの原因だから、
しない。
豪華客船などの泥舟には乗らない。
額に汗をかきつつ、
泥だらけになって
肉体労働するのが大好き❤
蓮の花は泥沼にしか咲かない。
自分の意識レベルまで下げて、他人と
仲良くする必要な無いな。
豪華客船という泥舟に乗りたがる
連中と仲良くなんてできない。
俺は自分の足で歩き、
ボートを漕いで行くさ。
贅沢なんてしちゃ、この御神体が
穢れる。
贅沢をすればするほど、
神から離れてしまう。
それじゃあ、神の愛のエネルギーを
受け取れなくなる。
神の愛のエネルギーが
どれほど大事なのか。
知る人は稀の稀の稀だろう。
自ら神に背き罪穢れ、
愛のエネルギーを拒否し、
酸化腐敗していく。
もう仕方ないな。
以前は、台湾が中国に取られたら日本はどうなるのだろうと懸念していたが、
霊感が働き、そうはならないと思うように至った。
台湾 → タイワン → 大和ン
実は台湾の文字に大和(ヤマト)が
隠されていた。
日本と台湾(大和)の友好関係は
言靈レベルで良いのだ。
この閃きにより、心配は消えた。
私はセラピストとして、
台湾の方を施術する事があるが、
一緒に働きませんか?と
言われた事がしばしばある。
その時は、何を言うとんねん?
と、思ったが、
私のオーラを感じたんだなぁと
今は思う。
私のオーラは真珠の輝きだ。
真珠養殖で知り合った両親の
子供だからな。
ちょっとGeminiで加工しました。
トランプの出現により、
世界は混沌としたカオス状態にある。
泥水が掻き回されて全体が泥沼化
しているのと同じである。
しかし、その泥は二極化する。
重い泥は下に沈殿し、
美しい水は上に来る。
その美しい水は正気が溢れる
ものになるだろう。
弥勒の世は世は近い。
しかし、その前に獣の刻印を
押されたものは封印される。
もう永遠に封印されるのである。
富や地位、名誉という旧人類的な
価値に執着するものは間引きされる。
私は肥田式強健術について、30年以上
研究して来た。
そして、正中心を知った。
しかし、それは肥田春充の言葉で、
知った訳では無かった。
むしろ、彼の言葉は弊害にすら、
なっていた。
肥田春充の言葉より大事なのは、
まず解剖学や生理学、東洋医学、
インド哲学に触れる事が大切だ。
結局、肥田春充がしたように、
古今東西の様々な文献に触れる
事が大切なのだ。
そして、文献で知った事を
実践すること。
そういう過程を数十年続ければ、
正中心に自ずとぶち当たる。
失敗し尽くして苦心の上に
勝ち取る事ができるものである。
それを肥田春充の本や動画を
1000年見たところが、
正中心は分からない。
それから、教養も身につけなれば
ならない。
教養も丹田の栄養である。
自己犠牲の精神も大事だし、
利他愛も大切だ。
人には親切にして、
陰徳を積む事も必要だ。
そんなあらゆる経験を踏まえれば、
正中心と出会うことになるだろう。
正中心とは神性や仏性そのものである。