海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位? | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

海舌氏の三元論:四元数の三つの虚軸は太極軸と陰陽軸と天地軸であり、実軸は単に光速度一定の単位?

海舌氏の三元論:三つの虚軸i, j, kは、三等分割均衡における正三角形の三つの軸に対応する?
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11947882841.html

先に以上のように述べたが、三元論についてもう少し考えてみた。
 二等分割を陰陽極性と見たが、そうではなく、ガウス平面の成立とみたらどうだろうか。つまり、虚軸と実軸の二つの軸の成立と見るのである。そして、三等分割であるが、それは、三次元空間の成立と見るのである。つまり、ガウス平面以外に三つの空間軸ができると見るのである。
 この三つの軸が四元数の三つの虚軸に当たるのではないだろうか。
 思うに、四元数の虚軸は、実は、準虚軸ではないだろうか。
 とまれ、問題は、実軸とこの準虚軸である。
 私はこれまで、実軸を天地軸としているが、それと三つの準虚軸はどう関係するのかが問題である。
 
追記:どうも、四元数は、適用するのに問題がありそうである。
 以下の「エーテル空間」の考え方は、端的に、三次元空間と関係すると言えよう。
 だから、思うに、PS陰陽論で言えば、陰陽からの発現としての三次元空間を考えればいいように思うのである。
 それは、以前考えたように、底面の平面と天地軸による三次元空間である。時間は、虚軸にあるとするのである。
 思うに、四元数の考え方、三つの虚数、虚軸であるが、それは、陰陽氣を超えた霊的空間に適用できるのではないだろうか。
 即ち、太一軸としての例えば、k軸、そして、太極軸としてのj軸、そして、陰陽氣軸としてのi軸である。
 つまり、四元数空間を超ガウス平面空間と見るのである。
 そうならば、海舌氏の三元論は、次元を間違えているとなるのではないだろうか。四元数空間は霊的空間であるが、海舌氏の三元論は、通常の三次元空間を志向していると思われるのである。

追記2:以下の「エーテル空間」を読み直すと、四元数の三つの虚軸は、以下の三つの直線、つまり、空間三次元の三つの軸に相当するように思えてくる。
 ならば、問題は、四元数の実軸の意味である。
 思うに、それは、単位数を意味するのではないだろうか。あるいは、光速度一定である。
 しかし、そのようにした場合、やはり、四元数の三つの虚軸、虚数は、準虚軸ないし準虚数となり、本来の虚軸、虚数ではないのではないだろうか。
 
追記3:いろいろ想起される。四元数の三つの虚軸、虚数であるが、それは、エーテル空間を意味するのかもしれない。
i軸とj軸とk軸が三つの直交軸であり、それが、エーテル三次元空間を作るのかもしれない。
 そして、実軸、実数は、やはり、光速度かもしれないが、要は単位数である。
 そうすると、i軸を太極軸とし、j軸を陰陽軸とし、k軸を天地軸とすることができるのではないだろうか。実軸は、空間軸とはならないのである。
 このように考えれば、四元数空間はガウス平面を包摂することができるだろう。
 そうした場合、最根源である太一は、どうなるのか。それは、MP(Media Point:原点・交点)にあるのではないだろうか。ゼロ点である。

追記4:追記3のように考えた場合、空間三次元はどう説明できるのだろうか。
 i軸=太極軸、j軸=陰陽軸は、空間軸にはならないはずである。k軸が天地軸でそれは、空間軸の一つとなる。
 足りないのは、水平面、あるいは、地上面である。
 それは、太極軸と陰陽軸による「超越平面」が現象化したものだろうか。その「超越平面」は以前述べていた陰陽円である。
 それが、現象化することによって、水平面が形成されるのではないだろうか。
 とまれ、天地軸とは、実際、現象空間軸なのだろうか。
 それは、シュタイナー的に言えば、光⇔重力軸である。
 ならば、現象空間軸である。
 ならば、k軸=天地軸は、虚軸であっても、空間軸である。
 そして、それに直交する水平面=地上面が現象すると考えられる。これは、球面になるのではないだろうか。
 とまれ、別に二つの空間軸が必要になるのではないだろうか。
 それとも、太極軸と陰陽軸で水平空間軸を考えていいのだろうか。
 思いつきであるが、天地軸が発出するとき、太極軸と陰陽軸による陰陽円=渦動円は、螺旋的に現象化するのではないだろうか。ならば、太極軸と陰陽軸を空間軸と見てもいいのではないだろうか。
 
追記5:ハイデガーの存在とは、追記3,4の三つの虚数・虚軸の作るエーテル三次元空間ではないだろうか。それとも、太極軸i軸と陰陽軸j軸の作る超越円=陰陽円なのであろうか。

エーテル空間」ノート23

note23:
・球は中心点に直角三角形をつくり出すだけではなく、
 天球周縁にも直角三角形をつくり出す
・プロセスとしての球形形成運動
・球形形成原理は、虚数に関わり、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れる

<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間の無限遠点は球面との関係において、球の中心点を通る平面をもたらします。この平面は、無限遠点がどの方向にあろうとも、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を成します。そしてこれは球の場合にのみ生じます。このことを最後まで考えていけば、球の中心点で互いの直角を成す“三つ組”の半径が得られます。すなわち三つの直線の各々が、他の二つの直線を含む平面に対して直角を成す、三つ組が見られることになりま
す。これは、この三つ組の直線を球の中心点からあらゆる方向へ向かわせることのできる、いわゆるデカルト座標系です。デカルトの座標系はこのように、球のなかに一種の形態原理を持っていますが、たとえば人間の頭蓋骨の形態はこの原像の現れのひとつです。

 さて
しかし、球はその中心点だけではなく、無限遠平面にもこのような三つ組をつくり出します。球は天球周縁に直角三角形をつくり出すのです。この三角形は、デカルトの座標系が三つの直線と三つの平面から成っているように。三つの直線と三つの点から成っています。
球はこのように、地上にも天上にも三つ組をつくり出しますが、地上では諸半径を構成要素とする中心点をつくり出し、天球では天球諸直線を構成要素とする“周縁中心”をつくり出します。
P.47-48
 近代幾何学の原空間において私たちがまず第一に理解しなければならないのは、直角がつくり出す硬い形態ではなくその根底にある数の動力学、完成された円形ではなくプロセスとしての循環運動、完成された球形ではなく丸みをつくり出していくプロセスとしての球形形成運動です。それというのも私たちは、中心点と宇宙の拡がりとの対極性のような、地上的なものと天上的なものとのあいだに永遠に作用している呼吸する対極性とかかわっているばかりでなく、このような二極間に自らの存在を主張している球形形成原理にも、つまり静かに自足している有限の球形に見られるような球形形成原理にもかかわっているからです。
P.48
 この原理を数学的に述べるなら、それはその具体的ー霊的な背景をアストラルと呼ばれるものの内に持つ、謎に満ちた虚数(√-1)にかかわる原理です。この原理はもはや空間的なものではありません。しかしそれは、特に循環するものの内に現れる数のリズムの響きをとおして、空間のなかへ形成的に作用しています。この原理は、エーテル的なものの内に作用していることから、数エーテル(化学エーテル)として現象界に現れます。
P.48

<note23>
◎直角三角形が円に内接するように、円や球の形態は密接に「直角」と結びついている。
note19で説明したように、空間の無限遠点は、球の中心点を通る平面をもたらすが、
この平面は、無限遠点へ向かう半径に対してつねに直角を形成する。
球の場合、中心点を通る平面と中心点から球面に延びる半径とが直角になっているイメージ。
◎そうすると、球の中心点で互いの直角を成す「三つ組」の半径が得られる。
つまり、この球の中心点を中心とした(x,y,z)座標(デカルトの座標系)のイメージ。
◎球は、この「三つ組」を無限遠平面にも形成する。
つまり、球は天球周縁に、三つの直線と三つの点から成る直角三角形をつくり出す。
◎近代幾何学の原空間においては、そうした直角がつくり出す硬い形態ではなく、
その根底にあるプロセスとしての球形形成運動を理解しなければならない。
これは、完成されたスタティックなものとしてではなく、それが形成されるプロセスが重要になる。
◎私たちは、地上的なものと天上的なものとのあいだの対極性だけではなく、そうした球形形成原理にも関わっている。
◎この原理は、ー霊的な背景をアストラル的なものに持っている「虚数(√-1)」に関わっているが、
呼吸するように循環するものの内に「数のリズムの響き」を通して、空間のなかへ形成的に作用し、
数エーテル(化学エーテル)として現れる。
◎「反空間」である「エーテル空間」は、物質空間に対して、もはや空間的なものではない「虚」の空間として表現されるが、その「虚」つまり、「虚数(√-1)」の原理はアストラル的なものを霊的背景としてもっている
ということはチェックしておく必要があると思われる。
というのも、シュタイナーは、物質界、エーテル界、アストラル界・・・というように、世界を多次元構造としてとらえているからである。
そして、「反空間」である「エーテル空間」は、この物質空間に対する「虚」の空間として位置づけられてる。
◎ちなみに、シュタイナーはエーテル的な力を、
生命エーテル、化学エーテル、光エーテル、熱エーテルの四つに分けてとらえている。
ここで「数のリズムの響き」である「数エーテル」としているのは、そのうち「化学エーテル」である。
◎参考までにいえば(この『エーテル空間』とは直接関係しないが)、電気、磁気、原子力の深部に潜んでいるエネルギーのことを、シュタイナーは《堕落したエーテル》と呼んでいるそうである。

 

https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar23.html

参考:

四元数 - Wikipedia


四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = -k, ij = -ji


超越軸における回転による超越円の形成と超越円をマトリクスとする現象螺旋形成


テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

先に、ガウス平面において、凸i(+i)と凹i(-i)との揺動によって、回転が生じることを述べた。
 問題は時間現象である。私は先に、凸iが空間形式で、凹iが時間形式ではないかと言った。カント哲学的には、前者は、外的感覚(外官)であり、後者は内的感覚(内官)である。
 差異共振現象という自然現象は、当然、時空間の発現を意味するから、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺の凸(+1)が時空間現象を意味するかもしれない。
 しかし、螺旋運動こそが、自然現象であるから、凸(+1)は自然現象自体ではない。
 それは、これまでの考えでは、超光エネルギーである。あるいは、超氣である。
 思うに、⇒凸(+1)の活動において、螺旋運動が形成されるのであるから、螺旋を空間とすれば、運動が時間と関係すると言えよう。ここで作業仮説であるが、⇒凸(+1)の超光のベクトルが時間ベクトルと一致するとしよう。つまり、凸(+1)は時間を意味することになる。
 そう、時間は内的なものであり、不可視であるから、それは、考えられることである。
 これで、現象螺旋運動の説明は済んだとしよう。
 次に、超越軸における回転・螺旋運動である。
 凸j*凹jも揺動しているとすると、超越円において、回転すると考えられる。(ここで説明しておかないといけないのは、凸i*凹iが形成する螺旋運動で あるが、その三次元は現象空間三次元であり、超越軸をもつ三次元ではない。つまり、ここで、現象三次元空間と超越軸を区別する必要があることである。
 結局、ガウス平面に直交する二つの軸があることになる。一つは超越軸であり、一つは、現象空間の第三次元の軸である。)
 しかしながら、果たして、超越円の回転は、螺旋運動を形成するだろうか。
 運動となるには、時間が必要であるが、超越円は時間を形成するだろう。そう、凸j*凹j⇒凸(+1)と形式化したのであり、右辺は時間を意味するのであるから、超越円も螺旋運動を形成することになろう。
 ここで整理したい。
 順序から言うと、超越軸における凸jと凹jの共振的揺動があり、それが回転をもたらし、超越円を形成する。
 この超越円の意味するものは、虚軸y軸の形成ではないだろうか。
 つまり、超越軸z軸と直交する虚軸y軸の形成である。これで、超越界からの凸i(光)と凹i(闇)の形成が説明できると言えよう。
 そして、凸i(光)と凹i(闇)の共振からの現象創造の説明もできる。
 そうすると、上述した超越軸と現象空間第三軸は異なるということはどうなるだろうか。
 つまり、超越軸と虚軸における超越平面と超越円が現象螺旋運動(時空四次元)を形成する基盤、マトリクスであり、それは、現象時空間とは一致しないと考えられる。
 そう、超越円はイデア界と言ってもいいだろう。それは、現象界からは不可視の存在であるが、現象創造の超越的根源ということになる。
 超越円(言わば、イデア・サークル)から可視の螺旋的現象界が形成されるということになる。
 そう、一見、超越軸と現象第三軸は重なるように見えるが、やはり、根本的には別物である。
 つまり、こう言ってもいいだろう。超越軸z軸と現象第三軸は表面的には重なるが、それは、見掛け上のことに過ぎないのであり、両者はまったく別個のものとして存在するのである。(追 記:そのように区別したものの、凸j*凹j⇒凸(+1)であるから、media pointにおいて、両者は重なることになるだろう。思うに、media pointは、この重なりにおいて、超越軸の情報を受け取り、それを物質化するのである。そう、いわば、超越情報[イデア情報]を受け取り、それを物質・ 現象的に具現化すると考えられる。
 さて、そういうことで、超越円(イデア・サークル)から螺旋形状が形成されるが、それは、黄金比を基本的にもっていると言えよう。だから、五芒星形がなんらかの超越円において、形成された可能性が考えられる。(ピュタゴラス派)
 そうすると、超越軸には何らかの超越的意志が考えられないだろうか。超越的意志によって、現象形成が決められているのではないだろうか。
 しかし、そのように考えると、超越軸を超越した超-超越界を想定する必要があるのではないだろうか。
 この問題は難しいので保留しておき、一応、超越軸における超越円の創造に留めておきたい。
 最後に凸jと凹jについて簡単に考察してみたい。凸iが光、凹iが闇ならば、凸jは原光、凹jは原闇ということになるのではないだろうか。
 原闇と原光が共振して、闇と光の宇宙世界が生まれる。
 原闇が原母であり、原光が原父ということになろう。
 問題は、原父が主導的な場合である。最初期は、原母が主導性をもっていたと考えられるが、あるとき、原父が主導的になったと思われる。
 もし、原父が決定的に自身を原母に押し付けるならば、凸j*凹凹j⇒凹(-1)となり、それは、質料となるのではないだろうか。
 一神教がこのような性格をもっていると考えられる。そう、原母を質料化して、卑賎化するのである。「父」が上位であり、「母」が下位である。そして、それの極端化したものがユダヤ教、ないしは、旧約聖書であり、「母」はほぼ不在となっているのである。
 ここで簡単に日本神話について触れると、それは、原母による原父との共振による現象創造を語っていると思われる。
 天之御中主神とは、原母と原父との共振を意味するのではないだろうか。そう、超越的media pointである。
 そして、高産霊神と神産霊神は凸iと凹iを意味するのではないだろうか。
 では天照御大神とは何であろうか。それは、超光であろう。単に光ではなく、原母と原父との共振、光と闇との共振による超光を意味しよう。
 マニ教の光はそれであろうし、アフラ・マズダ、キリストもそれであろう。
 今はここで留める。後で、再考したい。



凸(+1)を転換点とする脱物質体化・差異共振純粋超光過程


テーマ:映画ThriveのトーラスとPS哲科学

映画THRIVEのトーラスとPS理論:その2:上部から下部への動き
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11242890795.html

以上において、次のように述べた。

「少なくとも、凸(+1)は転換点、折り返し点、回帰点と考えられる。
 超光エネルギーは宇宙を形成し、凸(+1)に到達するのであるが、その後の問題である。
 今、直観で言うと、凸(+1)までの動きは春から夏への成長の動きである、しかるに、凸(+1)から凹(-1)への外皮上の動きは秋から冬の動きであ る。言い換えると、生から死への動きである。つまり、成長から衰退への動きである。しかし、この衰退は内的成熟への動きである。そう、外的成長から内的成 熟への動きである。
 思うに、簡単に言えば、超光エネルギーの衰退があり、それが、外皮的動きとなっているのではないだろうか。物質体の衰退であるが、内的「精神」の成長である。」

映画Thriveのトーラスにおける、上部極から下部極へ移動し、言わば、外殻、外皮、外面形成する力動について、それは、超光エネルギーの衰退を意味すると述べたが、それはある意味では正しく、ある意味では間違いである。
 というのは、螺旋的、乃至は、黄金比(白銀比もおそらく入れられよう)的物質体(身体)形成は確かに、そこ(凸[+1])からは衰退するから、それは、それまでの超光エネルギーから見ると、超光エネルギーの衰退を見ることは可能である。
 しかしながら、視点を変えてみると、凸(+1)に到達した、超光エネルギー、乃至は、差異共振エネルギーは実は、螺旋的物質体(身体)形成過程(Aプロセス)から脱螺旋的物質体(身体)過程(Bプロセス)へと転換するのではないだろうか。
 つまり、Aプロセスは同一性物質化を伴っていた、Bプロセスにおいては、同一性的物質化が消滅して、純粋な差異共振化、超光化が発生するのではないだろうか。これを聖霊プロセスと呼んでもいいだろう。
 つまり、超光エネルギーは衰退するのではなく、ただ、変態したと考えられるのである。喩えれば、蛹から蝶へと変態するようなものである。そう、それをヒントにして言えば、プシュケー・プロセスとも言えよう。
 思うに、それは、超越軸、超越界、神霊界、霊界における差異共振による超光形成と重なるように思えるのである。だから、聖霊プロセスなのでもあるが。
 結局、Bプロセスは物質体・身体形成としては衰退過程であるが、精神形成としては成熟過程である。
 さて、問題は、Bプロセスがどうして、凸(+1)からリンゴや梨のような外殻、外皮、外面である湾曲した球面を辿り、凹(-1)へと進行するのかである。その力学はどういうものか。
 これは単純に、磁界を考えればいいのではないだろうか。即ち、凸(+1)をN極とし、凹(-1)をS極とするのである。磁力がN極からS極へと作用するのであり、それとほぼ同様なことが、Bプロセスに起きている考えればいいのではないだろうか。
 つまり、下部極から上部極の螺旋的物質体化過程(Aプロセス)の方向、即ち、凹(-1)から凸(+1)への実軸x軸の左方から右方への方向を、純粋超光 は取ることがもはやできないのであり、つまり、言わば、内的な方向を取ることはできないのであり、そのため、外的な方向を取ることになると考えられるので ある。
 しかしながら、内的方向とは実は、外的物質体化の過程であり、外的方向とは内的精神化の過程であるというパラドクシカルな意味合いをもっているのである。
 しかし、外的方向=内的精神化の過程=Bプロセスは、凹(-1)という物質が終点であり、それは、死を意味すると言えよう。だから、その意味では、衰退消滅の過程なのである。純粋超光、純粋差異共振はそこで終了するのである。
 とは言え、それは、新生の過程に入ることである。新たな螺旋的物質体(身体)の過程に入ることになるからである。輪廻転生である。即ち、 凹(-1)の 物質において、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神を宿していた物質体・身体は消滅すると考えられるが、そのとき、純粋超光、純粋差異共振、純粋精神は完全 に脱物質化するのであり、それは、超越軸=超越界=神霊界=霊界に帰還すると考えられるのである。
 そう、凸(+1)において、脱物質化すると言ったが、それは完全な脱物質化ではなく、脱物質化のプロセスの開始を意味するのであり、完全な脱物質化は、 凹(-1)の物質において、為されると考えられるのである。説明すると、凹(-1)の物質とは無機的な物質、いわば、鉱物のようなものであり、生命的有機 体はそこには存しないと考えられるのである。
 今はここで留める。


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www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI2012年4月5日 - 132分 - アップロード元: ThriveMovement
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