【覚醒への道①】
http://ameblo.jp/neoluminous/entry-12156715191.html

【覚醒への道②】
http://ameblo.jp/neoluminous/entry-12156730436.html

【覚醒への道③】
http://ameblo.jp/neoluminous/entry-12156752799.html


未来も過去も思えない
心を揺らすことのできない日々に
少しずつ慣れて

わたしは、自分のことをだんだん忘れていった。

人の名前もふだん接している人以外の名は
忘れていった。

顔も忘れていった。


ただ、淡々と毎日を過ごしていました。

朝は庭でバルーンメソッドをして
朝食をつくり
こどもたちを送りだし
自分も仕事へ行き
帰ってきて夕食をつくり
こどもたちを寝かして
写経をする。

こどもの話しを聞いて
反応することはできたし
仕事も対応はできました。


自我の消滅に慣れてくれば
その日々はとてもおだやかで平穏でした。


そして、天空にマンダラを見るようになります。

マンダラを見る話しはリンク先をご覧ください。

【身体と宇宙とマンダラと占星術】
http://ameblo.jp/neoluminous/entry-11878334458.html

【マンダラとは何か】
http://ameblo.jp/neoluminous/entry-11879414913.html


わたしは、天空のマンダラも
ただ淡々と観察し続けました。


休みの日は森に入り
キノコや花の写真を撮るようになりました。

それも自我を通さず
写真をただ撮っていました。




そのうち、
五感がどんどん開いていきました。


遠くを飛ぶ鳥の羽音

遠い森から香るキノコや花の香り

髪の毛が床に落ちる音まで聴こえるようになり

水道から流れる水は
スローモーションに見えるようになります。


惑星や月が動く”感触”がするようになり

わたしは、だんだん透明になっていく感じがしていました。



そんな暮らしを4年ほどしました。
すっかり自我のない世界に慣れてきていました。


自然の美しさ
樹々のささやきの世界に生きていました。

白髪も黒髪に戻り、肌は生まれ変わったような
肌になっていました。

穏やかでくつろいでいて宇宙とともにありましたが
世の中というものからどこか離れていました。

そばにいた家族とも
とても穏やかな時間を過ごしていましたが
やはり離れていました。



スピリチュアルな世界を目指す多くの人は
この穏やかな世界を求めるのでしょう。


確かに穏やかでくつろいでいる世界は
素晴らしいです。

でもね、おだやかでくつろいだ
自我のない世界には他者もいません。(非二元)

心を揺らす他者がいないということ。
そこにいてもいない。

ただ、地球(自然)が存在している。
そこでは、何もする必要がない。
ただ、あるだけ。


すべてが与えられる。


それは、素晴らしい世界にみえるかもしれません。

そこは、人間である必要はありません。
そこが人間のゴールではないです。

そうなったら人間はいなくなるでしょう。
縄文やレムリアがほろんだ理由はここにあります。



その暮らしが4年経とうとしていたとき
少しずつ、自分のことを願えるスペースを見つけます。


必死で願いました。


喜怒哀楽の世界で死にたい。

喜怒哀楽を人と分かち合える世界で生きたい。



誰とも分かち合えない
自我のない(他者のいない)世界はつまらない。


この地球では
他者と関わるということは自我があること。


残りの人生は、わたしという自我とともに
人と出会って
喜怒哀楽と共に生きたい。


そう願い2008年8月
旅へ出かけます。


高野山から天川へ。


天川でスズメバチに見事に刺され
願った通り、久々の世間へ戻ることができました。




わたしは、あの4年間を「宇宙の刑務所」にでも
入っていたような時間だと思っています。

それまでの行いが悪すぎた
(自分を自分勝手にむやみに傷つけ過ぎた)
我が強すぎて更生施設で訓練。

わたしにとって
二元の世界は修羅の道だった。
自我のない非二元の世界は宇宙の刑務所だった。(笑)


スズメバチに刺された痛みの後は、
まるで刑務所から出たような(笑)
清々しい明るい気持ちでした。



わたしは、未来を思えるようになり
会社をやめる決意をします。


死のプロセスから再誕生のプロセスへ。




覚醒への道 第1章 完



◇◇◇
ここまで読んでくださってありがとう。


覚醒という言葉は
感情に触れやすい言葉だよね。

わたしたちの霊性の本能だから。
揺れ動いて自然。
それぞれの覚醒がある。

それぞれにいろいろ感じるかもしれない。


自我の世界は二元(鏡)の世界。
自我のない世界は非二元の世界。

色即是空 空即是色

どちらも同じこと。

他者がいながらいない世界。
悟りを求めると永遠に二元と非二元を行き来することになる。
そこにいると浦島太郎。

恐れも幻想、そして
覚醒もまた幻想。
 
じゃあ、どう生きるか?


どちらでもない中道で社会に働きかけながら
本当の意味で人と出会い、分かち合い生きることが
わたしたちはできる。
 

わたしにとっては貴重な体験。
あの4年があったからこそ
今の仕事がある。

今の仕事に入るための
職業訓練のようだったとも思います。



今は
全開泣いたり怒ったり笑ったりです。

それを受け止めてくれる人
分かち合える人がいること
本当にありがたいです。




ルミナ