どこにいても。。。 | ~波動アップで明るい未来をお手伝い~

~波動アップで明るい未来をお手伝い~

元祖☆宇宙系ヒーラーの波動使いマジカルをあなたに!


私には


私なりの 出会いや 受け取ってくれる人たちの反応があり、


それは、


ものすごく ストイックで 信念といえるほどの覚悟と意志のなかで


何十回も何百回も確認し 向き合った延長線上でやってることを


一瞬のうちに 


「腑に落ちる」


「探していたものが これだと 感じた」と


まったく 同じ表現で  発見したかのように


おっしゃってくださる反応に


ほっとするやら、


びっくりするやら、


これでよかったんだと 確信にかわるやらで


まだ その手ごたえゆえに 自分で選んで 


このことを 続けているのだと 再確認しました。




そして、


ひとつスイッチが入るように


都会とか 地方とか


知名度とか 人気とか


人目とか


使命とか


まったく そんな意味あいを 通り越した先へと


意識が共鳴し


自然に ハモルかのようなフレーズを確認しあうための


研ぎ澄まされた時間の共有のための自分には


場所が どこであろうと


誰であろうと


同じ自分で 誠心誠意という真剣勝負に挑んでいた。



不慣れながら 便利すぎる都会の電車の乗り継ぎを


たったひとりで 辿りながら


思うことは 地元にいるときと変わらず、


おのぼりさんになる歳でもないのもあって


落ち着き払っていつつも 緊迫感に満ちていて


まるで いつもを過ごしているかのように


馴染んでいるふりをする自分もいた。




どんな自分も 好きでいられる


いいんじゃない?って 思えるほど


歳を そして 経験?を重ねてしまったのかも。




自分がスキだっていう人の気持ちが


理解できなかった10年前は


こんな自分を迎えられることすら


想像もつかなかった。



でも、


今は、


演じる自分はいない。




真剣に120%素の状態で 多次元な自分を出せるスピな自分を隠すことなく


何をしているときも 出していていいんだ、ということ。


細部にわたってもそうなんだと。



そこは 今回、 どこか強さが産まれた感じもあり、


自分の内側の変化と 


変わらない、むしろ もっと細部にわたる記憶とともに 


自分と言う存在感、 


軸とかコアとかいう部分に触れるものに


もっともっと自覚と認識と 


意志すら確認していく方向へ


ステージ展開していっているのだなあと 


噛みしめる時間になった。




ものすごい大勢の人混みを見ても


高層ビル街を リアルに感じても


田舎ののどかな風景や


知らない土地の山々や自然を見ていても、


長旅の電車の中の時間の流れにおいても、


それは、 すぐに 単なる景色にすぎなくなり、


内面世界は なんら 変わることなく


一貫するものを たどっている淡々とした自分がいた。



だから、


プライベートすら


ただ、 必要なら食事を軽くして、


必要なら 無理ない行動で 必要最低限の移動をし、


分け隔てない対応で 人と向きあったり


尋ねるために話しかけることにも


最新の配慮と 自分の意志優先を通した


自分をしっかり客観視していた感じだった。




それは、大阪でも


東京でも


去年の秋田でも


地元でも



そして、


地元に遠方から来てくださる方たちを


お迎えしていても


イベントで 人前に立ったときでも


一貫してる自分を 


振り返ってみていた。




そして、ひとりじゃないということに意味が


わたしの場合は と ひとぞれぞれに 若干のニュアンスの違いもあるし、


本当に、出会いや別れのなかでの 人とのふれあいや


学びや 一人の時間を持てることも含め


それが 私を育ててあげたのだと 今ははっきり 素直に理解できるし、


感謝とか 淡々とした 受け入れができるから 不思議な感じがする。





あらゆることが


好転していることが もう答えなのだ。


何を ひるんでいるのか?


何を 立ち止まってしまったのか?


何も 問題ないのに


問題だと 無理に思わなくてはならないのかと


考えこむことすら どうなのか、


何度も メッセージや サインが起こる。




ということで



更にもっと毅然とすることが 求められたてきているんだと 理解した。


また、そういう大きなサインを受け止めて 


久々にのけぞりそうになったのは事実だった。




私は弱音は吐けない位置に 望んで 来たのだと


理解した。




しぶしぶでもなく、


無理してでもなく




表現を 甘んじて いい加減にしては 自分に嘘ついてしまったのと


同じだったのかもしれないと 


軸にしっかりそった自分は外せないのだと思い知った。





私自身がどう思うかが大事なのだから。





もう、 腹が完全に座ったのだ。


たぶんね。


もちろん、まだ 先のことはわからない。


でも、 さらに 目が覚めたと言う感じがした。


もう、 一切甘えないことに決めた私です。


あることにおいて。。。





どこにいても


何をしていても


進化した 積み上げてきた結果の自分 わたし が


ここにいる。


それで 十分だった。




生き方の選択肢。





わたしは わたしを 見失うわけにはいかないのだった。


だれが なんと言おうと。。。。




多くの人たちとの出会いや別れで


自分が体験できなかったことであれ


その想いに触れたお陰であると


素直に ほんとに 思えるから 不思議。



綺麗事は一切ない。


それは、わたしのつもり。


ただ、取り方は自由だと思う。


それについて 私がどうするか どう選択するかを もっとしっかり持つつもり。




様々な バリエーションのなかでも


この 自分の信念や決意のような 


まあ もっと 客観的な 感覚なのだけど


それを 貫けるかどうか


そういう トライな ステージが スタートしたのだろうと 思う今日この頃です。