⑨サントリー白州蒸留所研修会

1937年(昭和12年) 「サントリーウイスキー12年」(現在のサントリー角瓶)を発売。
この製品の成功により、サントリーのウイスキー事業が軌道に乗ることになる。

1940年(昭和15年)サントリーオールド誕生。
戦時下により発売ならず、10年後に世に出る。
余談ですが、鳥井信治郎は発想の転換で当時日本にいたアメリカの進駐軍にオールドを売っていたと言われています。
敵対するはずのアメリカ兵を顧客にして水面下で売上を伸ばしてしまう逆転の発想は、当時では考えられない発想で
経営戦略としての才覚も天才的です。
1940年(昭和15年)9月 長男の鳥井吉太郎が死去。若干33歳であった。
1960年(昭和35年)サントリーローヤル発売。

『このキャッチコピーで有名な開高健氏は芥川賞作家でありながら寿屋(現サントリー)の社員を辞める事はなかった。サントリーという会社の魅力は図りしれない』

『実際に鳥井信治郎がウイスキーブレンドに使用した机。
日夜この前で何を信じ、思い、そして志したのだろうか?』

『鳥井信治郎氏と二男、佐治敬三氏』
⑧サントリー白州蒸留所研修会
さて、お次は私の今回の一番のお目当ての博物館です♪
私が日本一尊敬して止まない
かの日本のウイスキーの父
『鳥井信治郎』
の歴史が凝縮されています。
ほとんど私の趣味のようなブログになりますので、
興味の無い方は飛ばして下さいね!
全然気にしませんから。
ほんまに。
ちょっときらいになるだけですから。

鳥井 信治郎(とりい しんじろう 1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本の実業家であり、サントリー創業者である。
1879年 大阪の両替商・米穀商の鳥井忠兵衛の次男として生まれる。
1892年(明治25年) 13歳で大阪道修町の薬種問屋小西儀助商店 (現在の接着剤製造のコニシである。代表作にアロンアルファなど)へ丁稚奉公に出た。
このとき小西儀助商店で扱っていた洋酒についての知識と調合の技術を得たといわれている。
1895年(明治28年) 博労町の絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ移る。
1899年(明治32年) 20歳で大阪市西区(これまた偶然ネオバーの近所なんです♪)で鳥井商店を起こした。
1906年(明治39年) 「寿屋洋酒店」に改名。
スペイン産の葡萄酒を販売するが売れなかったため、日本人の口にあう「赤玉ポートワイン」を製造し販売した。
1921年(大正10年) 株式会社寿屋を設立。大正後期には「赤玉ポートワイン」が国内ワイン市場の60%を占めるまでに成長した。
1923年(大正12年) 本格的なウイスキー生産を志し、
ウイスキーの本場スコットランドキャンベルタウンに留学していた竹鶴政孝(現、大日本果汁(株)ニッカウイスキーの創業者。当時は摂津酒造の社員。現在の宝酒造)を招き、大阪府島本村山崎にウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設。
国産ウイスキーの製造を開始。
1929年(昭和4年) 初の国産ウイスキーの「サントリーウイスキー白札」(現在のサントリーホワイト)と「サントリーウイスキー赤札」(現在のサントリーレッド)を発売。
売れ行きは芳しくなく、経営不振の為にスモカ歯磨の製造販売権や買収したビール事業を手放すこととなった。
私が日本一尊敬して止まない
かの日本のウイスキーの父
『鳥井信治郎』
の歴史が凝縮されています。
ほとんど私の趣味のようなブログになりますので、
興味の無い方は飛ばして下さいね!
全然気にしませんから。
ほんまに。
ちょっときらいになるだけですから。

鳥井 信治郎(とりい しんじろう 1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本の実業家であり、サントリー創業者である。
1879年 大阪の両替商・米穀商の鳥井忠兵衛の次男として生まれる。
1892年(明治25年) 13歳で大阪道修町の薬種問屋小西儀助商店 (現在の接着剤製造のコニシである。代表作にアロンアルファなど)へ丁稚奉公に出た。
このとき小西儀助商店で扱っていた洋酒についての知識と調合の技術を得たといわれている。
1895年(明治28年) 博労町の絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ移る。
1899年(明治32年) 20歳で大阪市西区(これまた偶然ネオバーの近所なんです♪)で鳥井商店を起こした。
1906年(明治39年) 「寿屋洋酒店」に改名。
スペイン産の葡萄酒を販売するが売れなかったため、日本人の口にあう「赤玉ポートワイン」を製造し販売した。
1921年(大正10年) 株式会社寿屋を設立。大正後期には「赤玉ポートワイン」が国内ワイン市場の60%を占めるまでに成長した。
1923年(大正12年) 本格的なウイスキー生産を志し、
ウイスキーの本場スコットランドキャンベルタウンに留学していた竹鶴政孝(現、大日本果汁(株)ニッカウイスキーの創業者。当時は摂津酒造の社員。現在の宝酒造)を招き、大阪府島本村山崎にウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設。
国産ウイスキーの製造を開始。
1929年(昭和4年) 初の国産ウイスキーの「サントリーウイスキー白札」(現在のサントリーホワイト)と「サントリーウイスキー赤札」(現在のサントリーレッド)を発売。
売れ行きは芳しくなく、経営不振の為にスモカ歯磨の製造販売権や買収したビール事業を手放すこととなった。
⑦サントリー白州蒸留所研修会
お次は普段なかなか飲めないプレミアムウイスキーのテイスティングです。

サントリーさんのウイスキーに対する情熱を感じさせてもらえる待望の時間です!!

白州蒸留所の敷地内に作られたバーで、そこのカウンターは銀座8丁目にあった老舗バー
『うさぎ』
のカウンターをオーナーバーテンダー井上氏より譲り受けたものです。
カウンターの無数の傷が、当時の一つ一つの人間ドラマを想わせ
ノスタルジックな気持ちにさせて下さいます。

ここでは、山崎25年、白州25年、響30年、山崎ミズナラ樽原酒等頂きました。
どれもこれも素晴らしすぎて言葉に表せないぐらいでしたが、私は白州25年が一番のお気に入りになりました。

『テンションが上がりすぎて若干うざいぐらいの店長石田。
お酒にかける情熱で、彼の右に出る者はいない…。と、本人が言ってました』
さあ、お次は私が楽しみにしていた
『サントリー歴史博物館』
です♪
こんどは、私がテンション上がりまくりで、たぶんかなりウザかった事でしょう。
サントリーの歴代CMを放映する場所では、
私の前にいたちょろちょろ動きまわるガキんちょを眼力で泣かしてやりました。
ま~しったこっちゃありません。
乞うご期待で~す♪

サントリーさんのウイスキーに対する情熱を感じさせてもらえる待望の時間です!!

白州蒸留所の敷地内に作られたバーで、そこのカウンターは銀座8丁目にあった老舗バー
『うさぎ』
のカウンターをオーナーバーテンダー井上氏より譲り受けたものです。
カウンターの無数の傷が、当時の一つ一つの人間ドラマを想わせ
ノスタルジックな気持ちにさせて下さいます。

ここでは、山崎25年、白州25年、響30年、山崎ミズナラ樽原酒等頂きました。
どれもこれも素晴らしすぎて言葉に表せないぐらいでしたが、私は白州25年が一番のお気に入りになりました。

『テンションが上がりすぎて若干うざいぐらいの店長石田。
お酒にかける情熱で、彼の右に出る者はいない…。と、本人が言ってました』
さあ、お次は私が楽しみにしていた
『サントリー歴史博物館』
です♪
こんどは、私がテンション上がりまくりで、たぶんかなりウザかった事でしょう。
サントリーの歴代CMを放映する場所では、
私の前にいたちょろちょろ動きまわるガキんちょを眼力で泣かしてやりました。
ま~しったこっちゃありません。
乞うご期待で~す♪
⑥サントリー白州蒸留所研修会

早い時間から色々見学させて頂きましたので、お昼過ぎにはお腹ペコちゃんです。
表現がキモイですか?
そんな事は知りません。

サントリーの営業担当者の方が前もって昼食場所も予約しておいて下さっていたので、
長蛇の列も列ばずに
座れました。
この場を借りてお礼申し上げます。
せっかくですから、サントリープレミアムモルツも一緒に頂く事にしました。

私が頂いたのは、サントリーシングルモルト白州の空樽を壊してスモークさせたウインナーやら野菜やらの入ったドリアを頂きました。
とても美味しかったですよ!
それにしても大自然が素晴らしい場所です。
空気が澄んでいて、まるでマイナスイオンの宝石箱です!

ちなみに、この写真のハットを被った男性は
かのウイスキーマニアである
『リ○ーフランキー』氏


