⑧サントリー白州蒸留所研修会 | 真夜中の深海Bar

⑧サントリー白州蒸留所研修会

さて、お次は私の今回の一番のお目当ての博物館です♪

私が日本一尊敬して止まない
かの日本のウイスキーの父

『鳥井信治郎』

の歴史が凝縮されています。

ほとんど私の趣味のようなブログになりますので、
興味の無い方は飛ばして下さいね!

全然気にしませんから。

ほんまに。

ちょっときらいになるだけですから。

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鳥井 信治郎(とりい しんじろう 1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本の実業家であり、サントリー創業者である。

1879年 大阪の両替商・米穀商の鳥井忠兵衛の次男として生まれる。

1892年(明治25年) 13歳で大阪道修町の薬種問屋小西儀助商店 (現在の接着剤製造のコニシである。代表作にアロンアルファなど)へ丁稚奉公に出た。

このとき小西儀助商店で扱っていた洋酒についての知識と調合の技術を得たといわれている。

1895年(明治28年) 博労町の絵具・染料を扱う小西勘之助商店へ移る。

1899年(明治32年) 20歳で大阪市西区(これまた偶然ネオバーの近所なんです♪)で鳥井商店を起こした。

1906年(明治39年) 「寿屋洋酒店」に改名。
スペイン産の葡萄酒を販売するが売れなかったため、日本人の口にあう「赤玉ポートワイン」を製造し販売した。

1921年(大正10年) 株式会社寿屋を設立。大正後期には「赤玉ポートワイン」が国内ワイン市場の60%を占めるまでに成長した。

1923年(大正12年) 本格的なウイスキー生産を志し、
ウイスキーの本場スコットランドキャンベルタウンに留学していた竹鶴政孝(現、大日本果汁(株)ニッカウイスキーの創業者。当時は摂津酒造の社員。現在の宝酒造)を招き、大阪府島本村山崎にウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設。
国産ウイスキーの製造を開始。

1929年(昭和4年) 初の国産ウイスキーの「サントリーウイスキー白札」(現在のサントリーホワイト)と「サントリーウイスキー赤札」(現在のサントリーレッド)を発売。
売れ行きは芳しくなく、経営不振の為にスモカ歯磨の製造販売権や買収したビール事業を手放すこととなった。