体育館練習に自分なりの決着 | 学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

学校なんていらない~不登校小学生ちゃりこの父娘自転車旅行記

いじめにあって不登校になり、父とホームスクーリングですごした女の子、ちゃりこが日本各地を自転車で旅をして、たくさんの人たちとふれあい、成長していった記録。腐りきった学校、卑怯な教師、そんなものは捨て去ってもいい。人の優しさ、親切、は学校の外側に必ずある。

水曜日、曇り時々薄日が射す時間帯もあったけれど、湿度の高い一日だった。

日中は、入院中に聴けなかった音楽を聴きながら、乗代雄介の二冊目、「十七八より」を読んで過ごした。

 

昨日は、手話講習会に対して、自分なりの決着をつけてきた私。

自分なりの決着というのは、回復した際には通うこともできるかもしれないけれど、そうでなければ二度と顔を出さなくても、その事情を判るようにして去ったとも解釈できるようにしておいたということ。

 

そして、今日も夕方から、体育館練習に行って、自分なりの決着をつけてきた。

元々が、チームの練習なわけではなく、寄せ集めのメンツだけれど、とにかく妬み深く陰湿な奴らが多い集団だった。

どう考えても、私にかなうわけがないのに、ネチネチ陰湿な空気を醸し出すようになってきて、ここ一、二年は、全体練習には入らず、いちばんに体育館に行ってカギを開け、窓を開けて換気し、掃除をして、個人練習を黙々とこなすだけにした。

遅い時間帯にようやく人数が集まり、奴らが全体練習を始める頃には、私はさっさと帰ってくることにしていた。

レベルが違うし、時間も気持ちももったいないだけだったからね。

それでも、個人のスキル練習をこなすという意味では貴重な時間だった。

いちばん早く来て、一人だけレベちの個人練習をしていて周りを寄せ付けない私が、体育館に行かなくなって二ヶ月ほど。

練習責任者には、手話講習会の講師に伝えたのと同じように、

“血液の癌になっただけなので、周りに感染させる病気になったわけではない”という旨を伝えてくれ、と言っておいたにも関わらず、手話講習会の講師と同じく、周りには伝えていなかったようだ。

めんどくせえなあ、と思いつつ、今日、自分なりの決着をつけに行ったわけだ。

いちばん早く体育館に着いてカギを開け、窓を開けて換気し、一人でシュートを射ってみた。

そもそも、抗がん剤の影響と、腎臓がまた悪くなっている影響で、足が浮腫んでいて、シューズが普段通りには入らなかったのを、紐を最大限緩めてなんとか履いて、横の動きやドリブルワークはなんとかなったものの、シュートが届かない。

筋トレが、下半身しかできなかったからか。

上半身の腹筋や背筋を鍛えると、弱くなって薄くなって脆くなって骨折しそうな骨が痛むので、何もできなかった。

それにしても、ほんの二ヶ月前までは、スリーポイントがビシバシの確率だったのに、フリースローラインからも届かない、というか、ボールを上に放ると、背中に激痛……

どうにもならない……

それでも一時間弱、ゆっくりとしっかりとボールにタッチして、シュートにスピンをかけて、少しずつ整えてみた。

関東実業団リーグ戦、十年連続十三回得点王の記録を持つちゃりこ父、築き上げてきたものが、ほんの二ヶ月で……

ぼちぼち、陰湿な奴らが集まってきたので、上がりにすることに。

「久しぶりじゃないですか」なんて言う奴らに、「血液の癌になった、終わりだ」とだけ話して帰ってきた。

 

たぶん回復してリハビリすれば、まだまだプレイはできるだろう。

ただ、手話講習会と同じく、回復せずに二度と行かなくても、その事情を判るようにして去ったとも解釈できるようにしておいたということ。

 

取捨選択しなければならないとして、行かなければならない地点は、他のところにある……

 

そこを目指して……

 

そこは、命を賭してでも……